限界に挑戦?2011年09月02日

旅行前に夏休みの宿題が終わっていれば良かったのだが…
戻ってきてからも2-3日あったのだが…
今年も娘は限界に挑戦することに。
日付が変わって登校日の朝方の四時に夏休みの宿題が終わった。
セーフ!!
でも、昨年は夜中の二時だった。
学年があがれば宿題も増え、内容も難しくなる。
このあたりで悟って、早めにコツコツやってほしい、と思う私だった。

日本の香りを体験-山田松香木店2011年08月18日

8月18日、母娘で京都御所近くの山田松香木店で開催された「親子で学ぶ日本の香り」と題した体験イベントに参加した。

日本の香り体験

まずは、加工の様子を見学した。昔ながらの手作業で一つ一つ四角に切っていた。その切れ端は更に隣では時代劇の漢方医がよく使っているすり潰す道具で粉状に砕かれる。貴重な材料だけに少しのムダも無いのがすごい。実演をしてくださった職人さんによれば、機械では、木目が読めない上に、香りが熱に弱いため、今でも手作業で行われているという。黒い練香も掌で丸めていた。丸薬は昔こうして作っていたのかな、という作業だった。

次にプロジェクターを使って、香木の伝来と発見、香道の歴史についてかみ砕いた説明があった。子供も分かるように、イラストをたくさんちりばめ、易しい言葉で丁寧に紹介してくれた。

 そしてお待ちかね、香道の初歩「三聞香」も体験した。三回お香を聞いて、同じ香りか否かを判断し、これを細長い紙に独特の記号で書く。なんと娘が当たっていた。私達が聞いたお香は三回とも違っていたから、三本の棒を書き、その下に「緑樹の林」と書いたのが正解である。

 最後に匂い袋作り、これは、テーブルの上におかれた6種類の香木の粉とこの日のための特別素材カツミレ、陳皮を混ぜ合わせて、自分だけの香りを作る作業である。香木の基本の配合を教わって、それに加えていくというやり方だったので、楽しくできた。和紙の小さな封筒に可愛いスタンプを押し、自分だけの匂い袋が完成した。

稀少な本物の香木にも触らせてもらったし、香木の加工や練香の作成の様子も見られたし、香木についての説明もあり、香道の体験も匂い袋作りもできて、盛り沢山の内容で、親子で貴重な体験ができた。山田松香木店の方達に香しいもてなしを受けた気分だった。

腹筋の日々2011年07月02日

一ヶ月半ほど母子で腹筋を続けている。私は50回、娘は100回、この違いは歴然で、娘の方は腹筋が割れてきた。鏡で見て喜んでいる。50回では無理らしい…まあ、娘はもともとの体型がスリムなのもあるだろう。

面白かったのは、その様子を見ていた夫が「びっくりした。自分と似ている」と言いだしたことだ。夫もかつて腹筋が割れたときには喜んだらしい。高校時代、柔道をしていたときをしきりに懐かしがっていた。

羨ましいことだ。残念ながら、私は腹筋が割れたことは一度としてないが、もし割れたら喜ぶに違いない。一生のうちには一度くらいそういう思いを味わうのも悪くないかも…絶対訪れないとも限らないその日を夢見て腹筋に励もう。

くるみボタン作り-休日の過ごし方2011年06月25日

手作りのくるみボタン
テレビのイタリア語講座を時々見ている。今期はファッションの街・ミラノが舞台なので、ファッションネタが多い。その中でオリジナルのTシャツをつくっている女性を紹介していて、彼女がつくっていたくるみボタンが印象的だった。

自分でもボタンをつくれるのだ、と気がついて、早速つくりたくなった。そして、通販でくるみボタンキットを取り寄せた。今日届いたキットを使い、娘と二人、説明を見ながら、くるみボタンを作った。つくってみたら簡単で楽しい。一つは刺繍で、二つは布の柄をそのまま使った。刺繍やビーズなど工夫次第でオリジナルボタンが自由自在に作れる。出来たボタンは、ゴムを通してヘアゴムにしてみた。とっても楽しい作業だった。

大阪府大正区の沖縄2011年06月23日

今日は沖縄慰霊の日である。太平洋戦争末期の沖縄戦から今年で66年、戦没者追悼式で少女が自作の詩を朗読した。とても胸に迫る詩だった。

 先週土曜日、国際交流協会の子供向けのイベントに母娘で参加し、大阪府大正区へでかけた。現地で案内してくれたのは、金城宗和さんである。当日のコースは区役所から昭和山、渡し船で西成区へ渡り、紡績工場跡を左に見ながら歩いて、もう一つの渡し場から大正区へ戻って、平尾の商店街で沖縄そばをいただく、というものだった。

金城さんは、最初に、沖縄が琉球王国という国だったことから説明してくれた。明治政府が琉球王国の首里城に軍隊を派遣して王を追放し、沖縄県設置を宣言した1879年を、沖縄の人は「ひとはなく」と覚えるそうだ。また、沖縄の姓を日本風に変えた経緯や理由、沖縄の家族を養うために女工として稼ぎに出たお母様のこと、就職先を探していたお父様が「朝鮮人、琉球人お断り」の張り紙に象徴される様々な差別を受けたこと、ご自身の少年時代に感じた沖縄人に対する偏見や差別のことなど、様々な体験を分かりやすく話してくださった。

次に昭和山に登った。大阪万博の残土や建築廃材を埋め立てて作った人口の山で、元は貯木場だった(と言っていた気がする)そうだ。大正区のこの辺りは江戸時代からの埋め立て地で、海よりも低いゼロメートル地帯で災害が絶えなかったらしい。今は昭和山も、沖縄の植物デイゴやソテツが植えられるなど、きれいに整備され、当時の面影はない。

山を下りた後は渡し船に乗った。道路と同じ扱いのため渡船は無料というのに驚いた。地元の自転車の人と一緒に乗って川を渡った。渡った先は西成区、明治時代以降、紡績工場や製材所や貯木場などが沢山作られ、働き先を求めて全国各地から多くの人が出稼ぎにやってきた。この辺りはいまも工場が沢山ある。かつては紡績工場が主流で、ここに沖縄の人達が職工や女工として働きに来た。紡績工場では、過酷な労働と寂しさに耐えかねて逃げる人が多かったという話、強制的にやらされたバレーボールの話などを聞いた。当初は出稼ぎに来たつもりだった人々が多く定住して、やがて沖縄人集住地区が形成されたという。

最後に歩いた平尾の商店街には沖縄料理店や沖縄食材店があった。通りには子供エイサー教室のようなものも見た。今や時代が変わり、沖縄は芸能人が沢山いて、青い海が美しいリゾート地…というイメージで、若者には憧れの地の一つとなっている。金城さんのお子さんも沖縄にルーツを持っているのを誇らしそうに語るという。そんなとき、金城さんは嬉しいけれども、少し複雑な思いもあるそうだ。沖縄出身の家庭であることを恥ずかしくて言えなかった、偏見や差別のあった少年時代が脳裏に浮かぶのだろう。

 沖縄が日本本土に復帰したのは1972年、いまも基地問題は解決していないし、相変わらず日本における沖縄の歴史への認識は低いままだ。差別や偏見が無くなりつつあるのは喜ばしいことだが、歴史は語り継ぐべきだろう。その意味でも金城さんのような地道な活動こそ貴重である。私も娘と共に貴重な体験をさせてもらって感謝している。

久しぶりのキッザニア2011年06月03日

娘のリクエストで、代休を利用して母娘二人でキッザニア甲子園へ出かけました。

 娘は入館するとすぐにパン屋さん、ピザ屋さんへ。パン屋さん(ドンク)で作ったのはミニクロワッサン、三角の生地をくるくるを巻いたのだそうです。ピザ屋さん(ピザーラ)では生地を広げ、具材をのせる作業をして、スタッフの方が焼いてくれました。この日は照り焼きチキンのマヨネーズソース風味のピザでした。おかげで昼食は娘が作った出来たてのクロワッサンとピザでした。娘の体験の感想を聞きながら、ぱりぱりのクロワッサンとあつあつのビザをほおばるのはとても楽しく、美味しかったです。

その後、デザイナーの体験、マヨネーズ作り、レンタカーの運転をなんと3回(!?)、それからはんことエコバッグ作りも楽しみました。娘には、今のところ、職業体験というよりは美味しいものや可愛いものの方が魅力のようですね。銀行のATMや電子マネーを使えるのも大人の世界を疑似体験できて嬉しい様子です。今回は以前行ったときにはなかった予約制のおかげで、スムーズに待ち時間も少なく回ることが出来ました。

 娘が体験をしている間、私は館内を見学して回りました。新聞記者や研究者、出版社、ホテルや警察官、俳優や、マジシャンなど、面白い職業が沢山あって、どれも楽しそうです。大人向けにもカメラマン、弁護士、花屋さんにパン屋さん、ケーキ屋さん、デザイナーに、ピアニストなど憧れだった職業を疑似体験できる施設があったらいいな、などと想像していたら楽しくなりました。

偉大な父親・手塚治虫の話を聞く2011年05月03日

阪大のいちょう祭であった。実は、付設の博物館で大阪大学創立80周年記念展「阪大生・手塚治虫-医師か?マンガ家か?-」のミュージアムレクチャーに手塚るみ子さん(治虫氏の長女)の講演があるのを見つけ、この日をずっと楽しみにしていた。

会場は満員御礼。会場一時間前に並んで座って聞くことが出来たが、立ち見の方も多かった。手塚治氏が自ら設計したという家や家族写真などを見ながら、父親としての手塚治虫氏のエピソードの数々を聞くことが出来た。手塚治虫は、忙しい日々で仕事に追いまくられていても、家族との時間を大切にして、家族を喜ばせるのを常に楽しみにしていたという。忙しい日々にあっても、娘の学校のイベントに顔を出したり、可愛い娘のわがままや行く末を案じ思い悩んで周りの人に相談して回ったり、父親としての手塚治虫の一面が見えて、ほほえましかった。

手塚るみ子さんは現在お父様の遺作のプロデュースなどを仕事にしているそうだ。偉大な父親の存在を背負って生きている、そんな感じを持った。兄のまことさんは中学生時代からすでに父親を尊敬できるクリエーターの先輩としていて見ていたという。これは何の違いなのだろう。偉大な父親を持つというのは、誇らしいだけではない、もっと違う重い何かがあるようである。

講演の後、展示を見て、それから少ない時間でいちょう祭のイベントを見に行った。理学部でやっていたクレーター作り、常温の氷、数学教室などを楽しんだ。




ありがとう2011年02月27日

 仕事の締め切りに間に合って、やっと一息ついたころ、思いがけぬプレゼントをもらった。マッサージクッションである。長時間パソコンに向かう日々を続けていて、肩も腰もカチカチに固まっていたので、とてもありがたかった。

 散歩に出かけると言って、お財布を握りしめて、夫と一緒に外出した娘はどうやら以前からこれに惹かれていたらしい。それを私のために贈ってくれるつもりだったとは、気がつかなかった。気持ちが嬉しい。彼女の限られたお年玉を使って、夫を説得して半分出して貰って、二人で買ったそうだ。いつも二人の愛情に支えられていると思った。本当にありがとう。

新年のご挨拶2011年01月09日

 あけましておめでとうございます。 

 新年のご挨拶、遅くなってしまいました。当ブログをお訪ねくださる皆様にとって、2011年が有意義で実りの多い一年となりますよう心よりお祈り申し上げます。


 年末年始は帰省しておりました。夫と私の実家を渡り歩くので、いつもバタバタです。娘は帰省先でウイルス性のお腹の風邪で寝込み、その後もジンマシン、咳の風邪…と次々病気にかかり、気の毒でした。家に戻った今もひどい咳が続いています。私も原因不明ながら体調を崩したので、治ったら、免疫力向上を目指して、親子で体力作りする必要がありそうです。
 


 研究の方は細々と続けています。暇を見つけては北京の幼児園の情報を丹念に見ているのですが、あまりにも多種多様、言ってみればなんでもありの状態なので、どう整理すべきか改めて考え込んでいるところです。他にも台湾の詩人・錦連さんの1949年の日記を読みはじめました。あとは…先日、カザフスタンの教育についておしえてくださった留学生の方の論文も読んでいます。いずれもとても興味深い内容なので、このブログでも紹介できたら、と思っています。
 


 今年も当ブログをご訪問いただければ幸いです。

うさぎ

↑可愛いウサギさんでしょう。帰省して妹の家を訪ねたら、ウサギとハムスターとミニチュアダックスフンドが…。年末年始に旅行する友人に頼まれて預かったのだとか。ちょっとしたミニ動物園みたいでした。

小学校の外国語授業の模擬授業に参加して2010年12月06日

週末、国際交流協会のイベントに参加した。大人と子供はそれぞれ違うプログラムがあり、娘が子供のプログラムを楽しんでいる間、私は大人のプログラムを聞きに行った。私の興味を誘ったのは、カザフスタン出身の方の英語の模擬授業である。近年、国際交流協会から外国人ボランティアが小学校に派遣されて外国語授業が行われているのだが、どんな内容か気になっていた。簡単な会話と楽しいゲームを主体とした英語の授業と講師の出身国の教育制度の紹介で組み立てられ、なかなか楽しかった。

もっとも率直に言えば、カザフスタンの方が英語の授業をする、のはもったいないと思った。いまの日本なら英語を学ぶのは難しくないし触れる機会もあるけれど、カザフスタンのお話を聞く機会は滅多にない。しかもカザフスタンの方から直接話を聞くとなればなおのこと、貴重な機会である。子供達にとっても他の文化に触れられるチャンスのはずだ。英語もいいが、いろいろな国の話をその出身国の人から聞く、そういう部分に重点を置いた授業の方がずっと価値があるのではないだろうか。この日聞いたカザフ語とロシア語は「ありがとう」の意味のたった一言だった。英語の他には中国語と韓国語があり、また学校側の要望によって他の国の授業も行われることもある。英語についてはネイティブ以外の方の授業も多いのだが、小学校側はネイティブを寄越して欲しいという要望が根強いらしい。元々ボランティアで運営されているわけで…善意の外国人とふれあう機会の方がありがたいように思うのだが。国際交流の素晴らしい機会なのに、教育現場は語学学習に重点を置きすぎて大切なことを見失っている、そんな風に感じられた。