「壬寅学制(欽定学堂章程)」と「癸卯学制(奏定学堂章程)」の違い2008年02月15日

 中国最初の近代教育の学制「欽定学堂章程(壬寅学制)」は施行されなかったため、中国で初めて施行された学制は「欽定学堂章程」を基礎に改訂した1904年公布の「奏定学堂章程」、一般的には「癸卯学制」と呼ばれる。

 「壬寅学制」が日本の学制に酷似していたのを忌諱したためか、「癸卯学制」では、張百煕、張之洞、栄慶の3名によって教育の目的や細かい呼称の変更や修学年数の変更等、様々な改訂がなされた。

 壬寅学制と癸卯学制を比較してみよう。教育システム上の改訂内容は以下の4点である。一つ目は初等教育に幼稚園にあたる蒙養院4年を加えたことで、これが中国の幼稚園の始まりとなった。二つ目は小学校にあたる学校が壬寅学制では蒙学堂(4年)と尋常小学堂(3年)、高等小学(3年)の3校で修業年限が10年あったのに対し、癸卯学制では前者が統合され初等小学(5年)になり、高等小学(4年)と合わせ9年に短縮したことである。3つ目は中学校にあたる中学堂が4年から5年へ変更になったことで、4つ目が大学院を通儒院と名称変更したことである。ちなみに癸卯学制では仮に初等小学から大学堂まで順調に通った場合、入学から修業まで21年間かかることになる。

 癸卯学制には「どの学堂も、忠孝を根本として、中国の伝統的学問を基本とする」という一項がある。思想的には洋務派で「中体西用」論(中国の伝統的思想と学問を根本として、西欧の科学や技術を導入しようとする考え方)を唱えた張之洞の影響が色濃いといえるだろう。

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