『女子國文讀本』にみる清朝末期の思想教育 ― 2008年06月10日
1905年(光緒31年)上海・商務印書館から出された『女子國文讀本』を見ると、康有為や梁啓超等の不纏足と婦女解放の論理は、変法運動失敗後も、中国における女性教育の基礎的な思想として生き続けたことが良く分かる。第一課から第四課までを見てみよう。
始めに第一課から第四課で女性の問題を述べる。第一課で「男性が苦しくないのは、学問をするからである。女性の苦しみは、纏足をするからである。」として学問の大切さと同時に纏足の弊害を説き、第二、三課では女性が学問することの意義と学校教育の良さを述べ、第四課では再び「纏足の法は妓女の法である」として纏足の害を訴える。
一方、国民の自覚を持たせる教育も行われている。第五課から第八課である。まず、第五課で「人が多いのは村、更に多いのは鎮、更に多いのが県、更に多いのが府、そして省である。各省を一つにしたものが国であり、名を[中国]という。」として国の構成を述べ、続いて第六課で「浙江は中国の一省であり、湖州は浙江の一府であり、烏程は湖州の一県である。私が住む南潯鎮は烏程に属している。」と具体的に地名で説明し、第七課では「中国は私の国である。中国の富強は私の栄えである。中国の貧弱は私の恥である。私は女子であるが国を守る責任があるのである。」と教える。その後念押しするように、第八課「南潯鎮の人は烏程県の人であり、烏程県の人は湖州府の人であり,湖州府の人は浙江省の人であり,浙江省の人は中国人である。ゆえに私は中国人である。」と第六課とは反対の順序で述べて、女児に中国人としての自覚と責任をうながすのである。
ところで、第5-8課と同じような発想で中国人の自覚をうながす文章を、台湾の戦後初期の教科書『小学国語課本』で見たことがある。この時に私が見たものは奥付がなく、出版年度も出版地も不明であったが、後に資料集で同じ内容のものを見つけ、戦後初期の教科書であることが確認できた。この教科書の第一冊、第一課のタイトルは「台湾人」、課文は「私は台湾人です。あなたも台湾人です。彼も台湾人だ。我々はみな台湾人です」であり、続く第二課は「中国人」、内容は「我々の祖先は福建人、広東人です。福建人、広東人、台湾人、みな中国人です」となっている。出てくる地名は違うけれども、発想はよく似ている。 女性に中国人としての自覚を持たせる教育と、台湾が中国に「光復」したとき、台湾人に中国人としての自覚を持たせる為の教育に共通点があるというのは、興味深い発見だった。
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