清朝の学部・編訳図書局がつくった『初等小学国文教科書』2008年07月03日

 国家が教科書に関わるようになったのは、1903年(光緒29年)の奏定学堂章程(中国での通称は癸卯学制)公布以降であり、中国初の教科書検定は清朝政府が光緒31年・1905年11月設立した「学部」に1906年「編訳図書局」が設置されたことに始まる。これが中国で最初の教科書検定機関になった。この編訳図書局は教科書を検定するばかりでなく、教科書の編纂も行っていたようだ。資料集によれば、学部・編訳図書局は、多くの教科書を編集し、当時は商務印書館などの出版社が販売していたが、現在ではごく僅かしか残っていないという。

 その貴重な学部・編訳図書局がつくった教科書を資料集で見つけた。『初等小学国文教科書』(宣統2年・1910年12月、編集・印刷・発行は学部編訳図書局)である。「凡例」には、この教科書が全8冊であること、初等小学4年間(毎年二学期あり毎学期一冊を教授するため)で使用する旨、記されている。ちなみに値段は「定価銀元一角」である。
資料集に採られているのは第一冊と第五冊の冒頭の数課のみである。私が特に興味を持ったのは第五冊の方で、清朝ならではの教材が載っている。

 第一課は「長白山」である。地図も載っている。長白山は清朝にとって特別の意味がある。課文にも「この山は我が朝発祥の地である。」とある。清朝を打ち立てた愛新覚羅氏は建州女真族の一部族であり、元来は吉林省が根拠地で、北京を首都にする前は盛京(現在の瀋陽)を首都としていた。

 第二課は「振興武備」。清朝開国時の武功を誇る内容である。「我が朝開国の初めは、八旗の精鋭部隊が天下に雄を唱えた。太祖、太宗は常に自ら隊列の中にあって、方略を指示し、故に戦いに勝利し、攻略した。武功の素晴らしさは、過去を遙かに超えたものだった。今は皇帝陛下が陸海軍大元帥を親任しており、親政前は暫時監国摂政王が代理を務めている。その後、国威は日ごとに増し、国勢は日ごとに強くなっていった。開国の鴻規があってこそ、今日があるのである。」というようなことが書いてある。(と思う^^;)「太祖」はヌルハチ、「太宗」はホンタイジ、「監国摂政王」は醇親王載灃=清朝第12代で最後の皇帝宣統帝とその弟・溥傑の実父のこと。「鴻規」は「猶言根本大法」の意。祖宗の法、祖先が築いた基礎をさしているのだろう。

 ところで、この時期の教科書は、全体的に「抬頭」が見られる。「抬頭」というのは、敬意を表現する書式のことで、改行の上、皇太后とか祖宗なら三文字持ち上げ、皇帝や皇帝に関わる言葉などの場合、二文字持ち上げて書く。皇帝の付属物(京師、国家など)は一文字持ち上げる。

 以前に紹介した教科書には、例えば「皇上」の前に二文字の空白をつくってはいても改行はしていないものもあったが、この教科書はさすがに学部・編訳図書局の編集によるものだけあって、抬頭の書式がしっかり守られて、「太祖」「太宗」は三文字、「皇上」は二文字、「朝」(清朝の意)「監国摂政王」は一文字持ち上げられている。

 学部・編訳図書局の教科書が残らなかった理由、考えてみれば内容も書式もこれほどに清朝時代に対応しているからこそ、中華民国になったときに処分されてしまったのだろう。


参考:『小学教科書発展史』(国立編訳館、2005)

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