中国・中華民国初期、中華書局誕生秘話2 ― 2008年10月20日
中華民国成立直前に陸費逵等が新教科書を秘密編集していたという事実は複数の証言者の証言があり、間違いのない事実である。この事実は基本的に、陸費逵には先見の明があり、辛亥革命が成功すると信じ、革命後の教育に適応した教科書の必要性を見越して行われた愛国的行為、と解釈されてきたように思う。でも、もしも、以前にも教科書の秘密編集という行為が行われ、それで陸費逵等が多額の営利を得ていたとしたら、どうだろう。
樽本氏は商務印書館関連の資料を博捜するなかで、1910年に別の教科書のセットが陸費逵等によって社外で秘密編集されていたことをつきとめた。証拠として樽本氏が引用しているのは、蒋維喬の証言である。「……実は陸は野心に燃えており、社外で共謀して小学教科書フルセットを密かに編集した。その実、国文、算術、歴史、地理、理科など最初の一冊だけができていたにすぎなかったが、すぐさま広告をうって宣伝したのだった。商務側では夏瑞芳、張元済がこれを見て大いに驚き、高夢旦に責任をもって交渉させた。その結果、原稿を高値で購入し、伯鴻に対しては給料を増額したのだ。(陸費)伯鴻のこの行動はまったくユスリ主義であり、大金を欲して資本とし、さらに意図するところがあったのである。高夢旦たちは困惑するし、だまされてしまったのだが、夏瑞芳、張元済たちはその内幕を知らなかった」(『中国現代出版史料』下冊・1959年。樽本氏の訳。樽本氏は蒋維喬が「陸費」を「陸」と誤記していることも指摘している)
上の蒋維喬証言を樽本氏は当初辛亥革命直前の秘密行動を指していると考えていたという。樽本氏ばかりでなく、他の研究者もみなそう思っていた。だが樽本氏の探究はここで終わらず、「原稿を商務印書館が購入した」という記述が奇妙であることから、もう一つの秘密行動の存在の可能性に気が付く。
樽本氏は証言を裏付ける証拠として、蒋維喬の1910年2月23日の日記に「正月14日 朝9時、夏粋翁(瑞芳)の求めで赴き、陸費伯鴻が外で教科書を密かに編集したこと、会社はそれを購入するつもりだということについて議論をする。私は賛成もせず、また反対もしなかった」(『蒋維喬日記選』1992年。樽本氏の訳。「伯鴻」は陸費逵の字)と記されていることを挙げている。蒋維喬は、高夢旦よりも早く商務印書館に入社しており、教科書編集の熟練者であり、中華民国成立に際しては蔡元培率いる教育部の秘書長を拝命して陸費逵とともに「普通教育暫行弁法」を起草した人物であり、当時の内部事情に最も通じている一人だから、その証言は重い。それにしても、当時の関係者も記憶が曖昧で、長い間忘れられていた重大な事実を、樽本氏が緻密な史料研究と論理構築によってつきとめたことは素晴らしい。研究とはこうありたいものである。
さて、話を元に戻すと、要するに、陸費逵は非常に野心的な人物で、辛亥革命直前ばかりでなく、1910年にも教科書を秘密編集していた。そして、このときは、商務印書館は原稿を高額で購入するという方法で問題を処理していた。この教科書は時期的に見ても革命に即した内容であるわけがないから、陸費逵は既にこの時期に独立を考えていたのを、後見人的な人物・高夢旦によって慰留された、ということだろう。そして、陸費逵は多額の営利を得て、給料まで増額された。蒋維喬等同僚の目にはそれがユスリ的行為に映ったのだ。
でも、上記のもう一つの教科書秘密編集だけで、陸費逵と中華書局を評価するのは尚早である。樽本氏は大事な視点を他にも提供してくれている。長くなったので、これは次回に。
参考:樽本昭雄『初期商務印書館研究 増補版』(清末小説研究会、2004)
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樽本氏は商務印書館関連の資料を博捜するなかで、1910年に別の教科書のセットが陸費逵等によって社外で秘密編集されていたことをつきとめた。証拠として樽本氏が引用しているのは、蒋維喬の証言である。「……実は陸は野心に燃えており、社外で共謀して小学教科書フルセットを密かに編集した。その実、国文、算術、歴史、地理、理科など最初の一冊だけができていたにすぎなかったが、すぐさま広告をうって宣伝したのだった。商務側では夏瑞芳、張元済がこれを見て大いに驚き、高夢旦に責任をもって交渉させた。その結果、原稿を高値で購入し、伯鴻に対しては給料を増額したのだ。(陸費)伯鴻のこの行動はまったくユスリ主義であり、大金を欲して資本とし、さらに意図するところがあったのである。高夢旦たちは困惑するし、だまされてしまったのだが、夏瑞芳、張元済たちはその内幕を知らなかった」(『中国現代出版史料』下冊・1959年。樽本氏の訳。樽本氏は蒋維喬が「陸費」を「陸」と誤記していることも指摘している)
上の蒋維喬証言を樽本氏は当初辛亥革命直前の秘密行動を指していると考えていたという。樽本氏ばかりでなく、他の研究者もみなそう思っていた。だが樽本氏の探究はここで終わらず、「原稿を商務印書館が購入した」という記述が奇妙であることから、もう一つの秘密行動の存在の可能性に気が付く。
樽本氏は証言を裏付ける証拠として、蒋維喬の1910年2月23日の日記に「正月14日 朝9時、夏粋翁(瑞芳)の求めで赴き、陸費伯鴻が外で教科書を密かに編集したこと、会社はそれを購入するつもりだということについて議論をする。私は賛成もせず、また反対もしなかった」(『蒋維喬日記選』1992年。樽本氏の訳。「伯鴻」は陸費逵の字)と記されていることを挙げている。蒋維喬は、高夢旦よりも早く商務印書館に入社しており、教科書編集の熟練者であり、中華民国成立に際しては蔡元培率いる教育部の秘書長を拝命して陸費逵とともに「普通教育暫行弁法」を起草した人物であり、当時の内部事情に最も通じている一人だから、その証言は重い。それにしても、当時の関係者も記憶が曖昧で、長い間忘れられていた重大な事実を、樽本氏が緻密な史料研究と論理構築によってつきとめたことは素晴らしい。研究とはこうありたいものである。
さて、話を元に戻すと、要するに、陸費逵は非常に野心的な人物で、辛亥革命直前ばかりでなく、1910年にも教科書を秘密編集していた。そして、このときは、商務印書館は原稿を高額で購入するという方法で問題を処理していた。この教科書は時期的に見ても革命に即した内容であるわけがないから、陸費逵は既にこの時期に独立を考えていたのを、後見人的な人物・高夢旦によって慰留された、ということだろう。そして、陸費逵は多額の営利を得て、給料まで増額された。蒋維喬等同僚の目にはそれがユスリ的行為に映ったのだ。
でも、上記のもう一つの教科書秘密編集だけで、陸費逵と中華書局を評価するのは尚早である。樽本氏は大事な視点を他にも提供してくれている。長くなったので、これは次回に。
参考:樽本昭雄『初期商務印書館研究 増補版』(清末小説研究会、2004)
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