憧れのフォロ・ロマーノを歩く2011年08月26日

「フォロ・ロマーノ」は今回一番行きたかったところだ。朝9時の開門に合わせてタクシーで向かった。到着するとすでに人が並んでいた。9時ちょうどにチケット売り場が開いて、入場した。家族で歩くので、マイペースに動けるのがありがたい。でも、もちろんガイドなしだから、手元の地図とガイドブックがたよりだ。問題は暑さ。朝だというのに、暑い。しかも、どんどん暑くなる。下は石畳で建物はレンガか大理石だから照り返しも強いのだろう。それでも大人だけなら、一日中この辺りを回っていただろう。でも子連れに無理は禁物、今回はさっと見るだけに留めた。またの機会があることを願いつつ。

フォロ・ロマーノ


 本題に戻ろう。「フォロ・ロマーノ」の「フォロ」は「フォーラム(広場)」のことである。紀元前6世紀から紀元293年までは、元老院議事堂、法廷も神殿、凱旋門、そしてそばにはコロッセオもあって、ローマ帝国の政治と宗教の中心地であった。共和制の時代は、取引や話し合いの場であったものが、現在の規模になったのはカエサルの時代であり、帝政になってからは皇帝の権威を示すガレリアや凱旋門などが立てられて、どんどん手狭になっていったらしい。また、ローマは火事が多く、暴君ネロ時代のローマの大火を含め、この「フォロ・ロマーノ」も、何度も火災に見舞われたという。
セプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門


現在見られる遺構の中には、セプティミウス・セヴェルス帝の凱旋門のように、中世、地底に埋まっていたおかげで保存状態が良いのもあれば、元老院のように資料を元に再建されたものもあるが、多くは瓦礫のままである。しかし、驚くべきは、19世紀初期に本格的に発掘調査が始まるまでは放牧場だったことだ。あれほどの広大かつ巨大な建築群、しかも帝国の中心地だった場所がすっかり忘れ去られ、すっぽり土に埋まっていたなんて、とても不思議である。

コロッセオからみたフォロ・ロマーノ


 塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読み、映画やドラマ、写真集などで見て、自分なりにいろいろイメージはしていたけれど、その場に立ってみて初めて分かるものもあるものだ。建物の壮大さ、色合い、装飾、空気、温度…二千年という時間がもたらしたものと失ったもの、今も変わらないもの、そういったものを少し肌で感じられた気がする。

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