科挙の予備試験・学校試とは? ― 2009年05月08日
科挙は、予備試験のような性格をもつ学校試に始まる。実を言えば学校試は科挙の中には入らないのだが、明代以降、科挙を受ける資格を得る為には、必ずどこかの国立学校の生徒「生員」でなければならなくなった。
本来、学校は生徒を教育する機関であり、そのために教官が配属され、学校に長い期間在学し、何度も学力試験を受けると、その優秀な者は学校を出てそのまま官吏になる途も開かれていた。科挙は学校で養成された人材を登用する為に、特別な試験を行って官吏の資格を与える制度だった。しかしながら、後世、両者が混同され、科挙を受ける方が早道であり、科挙を受ける為には生員でならねばならぬから、科挙の前段階として学校に入る入学試験を受けるようになった。学校試は科挙の一段階として認識され、科挙の踏み台的試験と化してしまったのである。
国立学校の代表的なものとしては、中央に「太学」があり、地方に「府学」「州学」「県学」(地方の学校については学校そのものには上下関係はないらしい)がある。定員は大きい学校で40人を超えず、小さな学校では15人と定められていた。後に世論の定員増加の希望にかんがみ、若干名の学費を必要としない生員の入学を許すことになった。それでも驚くほど少ない定員である。科挙を受ける資格がある「生員」になるだけでも、激烈な競争に勝ち残らなくてはならない。
学校試はふつう童試と呼ばれた。それは元々14歳以下のものを対象にした試験だったからである。童試に応ずる受験生は年齢に関係なくすべて童生と呼ばれる。
この学校試、三年に二回の割で行われていた。この学校試は三つの段階に分かれていて、第一が県で行われる「県試」、第二が府で行われる「府試」、第三が本試験ともいうべき「院試」である。
参考:宮崎市定『科挙-中国の試験地獄』(中公新書、1963初版)
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本来、学校は生徒を教育する機関であり、そのために教官が配属され、学校に長い期間在学し、何度も学力試験を受けると、その優秀な者は学校を出てそのまま官吏になる途も開かれていた。科挙は学校で養成された人材を登用する為に、特別な試験を行って官吏の資格を与える制度だった。しかしながら、後世、両者が混同され、科挙を受ける方が早道であり、科挙を受ける為には生員でならねばならぬから、科挙の前段階として学校に入る入学試験を受けるようになった。学校試は科挙の一段階として認識され、科挙の踏み台的試験と化してしまったのである。
国立学校の代表的なものとしては、中央に「太学」があり、地方に「府学」「州学」「県学」(地方の学校については学校そのものには上下関係はないらしい)がある。定員は大きい学校で40人を超えず、小さな学校では15人と定められていた。後に世論の定員増加の希望にかんがみ、若干名の学費を必要としない生員の入学を許すことになった。それでも驚くほど少ない定員である。科挙を受ける資格がある「生員」になるだけでも、激烈な競争に勝ち残らなくてはならない。
学校試はふつう童試と呼ばれた。それは元々14歳以下のものを対象にした試験だったからである。童試に応ずる受験生は年齢に関係なくすべて童生と呼ばれる。
この学校試、三年に二回の割で行われていた。この学校試は三つの段階に分かれていて、第一が県で行われる「県試」、第二が府で行われる「府試」、第三が本試験ともいうべき「院試」である。
参考:宮崎市定『科挙-中国の試験地獄』(中公新書、1963初版)
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