科挙の応募資格2009年05月07日

 一口に科挙といっても千年以上の歴史がある制度だけに、幾多の変遷を重ねている。ここでは宮崎市定『科挙-中国の試験地獄』が紹介する、科挙制度が形式上もっとも完備した清朝末期の状態を基準として、何回かに分けてその構造を見てみようと思う。

 まずは応募の資格についてである。言うまでもないが、女性には応募の資格はなかった。男性については…科挙とその予備試験ともいえる学校試の応募資格には多少の制限があった。それは父祖三代の間に賤しい職業、例えば娼館、妓楼などの経営に従事したものでないことを要する。そのために出願書には保証人を立てて、三代の身分が清白であることを証明しなければならないというものであった。また、本人が父母、祖父母の死後一年ないし三年間の服喪中でないことを要する規定もあった。これは儒教的な親に対する孝行をつくす心を重んずるところから出ており、服喪中に公の場に出ることは全て遠慮せねばならなかった。

 しかし、その他の点ではどんな身分であっても受験でき、また父祖が、官吏であったとしても特典はなかった。

参考:宮崎市定『科挙-中国の試験地獄』(中公新書、1963初版) 

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あおとかいちの詩「おがわの はる」を暗唱する2009年05月07日

 娘は、ゴールデンウィークが終わって、久しぶりの学校だった。朝から雨の中、元気よく学校に出かけていった。帰宅した娘の手には葉っぱが一枚。「ばんそうこうあげる。」これが今日のお土産。
 連絡帳を見ると、宿題は算数と国語だった。算数は100~1000の数を勉強するプリント、国語は授業ではまだ一度もやっていない詩の暗唱であった。
 どうやら、暗唱は後回しにしているので、様子をみていると、寝る前にようやく練習を始めた。聞いていると、「あかさたなはまやらわ」と頭の中で考えながら、やっているらしい。だから後の方になるほど、間が空いてしまう。なかなか難しいものだ。

「おがわの はる」
          あおとかいち
あいうえおがわに はるがきた
かきくけこおりも  もうとけて
さしすせそろった  つくしんぼ
たちつてとんでる  もんしろちょう
なにぬねのはらの ひばりの こ
はひふへほんとに うれしいな
まみむめものかげ めだかの こ
やいゆえよしのめ  よけて いく
らりるれろんろん  うたう みず
わいうえおがわに  はるが きた

(『新編新しい国語』二年上、東京書籍) 
 
 いまはもう五月、「はるがきた」というには季節はずれの気もするが…春を知らせる、つくしんぼやらひばりの子、メダカの子が蘆の芽をよけながら小川を泳いでいる様子などを想像するだけで楽しくなる。
 娘の方は何度か読んでいる内に暗唱出来て、こちらもごきげんだった。
 
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