神仙の暮らし――宮崎市定『中国に学ぶ』2008年08月21日

宮崎市定『中国に学ぶ』
 宮崎市定のエッセーに「神仙の暮らし」というのがある。ある中国の故事を載せているのだが、これが私は好きだ。貧乏暮らしに愛想を尽かしたある男の願かけの話である。
--
 「決してぜいたくは申しませんが、どうかその日その日の暮らしにだけ困らないように、一生ご加護くださるようにお願い申します。金持ちになろうなどとは夢にも思いません」
あまりに熱心に祈るので、神様が姿を現したが、さて、きっと形を改めて申すよう、
「何とお前はぜいたくなことを申すヤツじゃ。過ぎたこともなく、足りないこともないという暮らしは、万人が望んでもなかなか達せられない生活の極致であるぞよ。それは神仙の境地だ。そんな高望みをすてて、金持ちになりたいとか、それがいやなら、今のままの貧乏でいたいとか、考え直して改めて願かけをするがよいぞ」
--
 過ぎたこともなく、足りないこともないという暮らしが神仙の境地なら、我が家も神仙の暮らしをさせて貰っているということになる。時々この話を思い出して、今の生活に感謝することにしている。我が家に限らず、大部分の日本人は願かけしなくても、神仙の暮らしをさせてもらっているわけだが、最近は貧富の差が開き、特に貧困層の増加が指摘され、神仙の暮らしが出来ない日本人が増えている。これを人間の力でどうにかできないものだろうか。

読んだ本:宮崎市定『中国に学ぶ』中央公論社・改版版(中公文庫)