柳澤佳子『命の日記』を読む2009年01月08日

柳澤佳子『いのちの日記』(小学館、2005)
 柳澤佳子さんの『生きて死ぬ智恵』を読んでいて気になったことがあった。例えば、「心訳」にたびたび登場する「粒子」という言葉である。「粒子」という言葉に象徴される「般若心経」の新しい捉え方は、新鮮で、現代を生きる私には受け入れやすい。でも、これは相当に新しい言葉であり、考え方のように思われた。だから違和感があった。また、科学者である彼女が「般若心経」にたどり着いた人生の軌跡についても関心があった。そこで柳澤さんのもう一冊の著書『いのちの日記』を読んでみた。

 写真が載っていた…可愛らしい少女のころ、学生時代、初めての出産、研究者として第一線で活躍していた頃…病を得る前の柳澤さんは清楚で知的で美しく溌剌とした、素敵な女性である。お茶大2年の時に婚約して、夫となる人の待つアメリカへ渡り、世帯宿舎に住んで、大学院でドクターをとり、妊娠7ヵ月で帰国、慶應大学医学部に助手として就職する。結婚生活も、研究者としてのスタートも非常に恵まれたものであったといえるだろう。

 でも、その身体にはいつの頃からか病魔が巣くっていた。そこに綴られる原因不明の病気のもたらす身体的な痛みと苦しみ、周囲の無理解に心傷つく日々は読んでいる私自身も胸が締め付けられるようであった。柳澤さんはその身体的精神的な苦悩から、宗教に救いを求め、実に多くの哲学、心理学、精神医学、宗教等の本を読み、思索を重ねている。中でもドイツの神学者・ボンヘッファー(1906-1945)の「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という思想の影響は大きく、そこから「神は脳の中にある」という考え方にたどり着いたようである。

 「粒子」という考え方(100頁~)、についても載っていた。私は「粒子」という考え方は新しいものだと思っていた。でも、柳澤さんは、紀元前5世紀にはギリシアの哲学者レウキッポスとデモクリトスは「原子(アトム)」という粒子を考えていたことを指摘し、ブッダの生涯を中村元氏のいう紀元前463-383年とするなら、ブッダは原子という考え方を知っていた可能性があるのではないか、と述べる。古代インド仏教芸術とヘレニズムの影響、アレキサンダー大王の東征などを通して、インドに「原子」の考え方が伝わり、それがブッダの思索に影響した可能性もないとはいえないだろう。でも、それは現時点では推測に過ぎないので、柳澤さんの現代語訳は、科学者としての視点をもつ彼女自身がたどり着いた思想に基づいた解釈を加えたもの、として捉えておこう。

 病気になる前の順調と思われた人生から、「人生は苦なり」と長い一日を堪え忍んだ苦悩の日々、多くの思索を経て、柳澤さんが得たものを、私達に惜しげもなく伝えてくださるのは実にありがたいことである。

 岩波の中村元氏訳の『般若心経・金剛般若経』『ブッダのことば』も夫に借りて読んでいる。こちらも別の意味でいろいろ考えさせられている。

読んだ本:柳澤佳子『いのちの日記』(小学館、2005)

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