カルタの新しい遊び方!?「な行ならべ」2009年01月02日

 お正月、カルタで遊んでいた娘が「オリジナルの遊び」を考えた。その名も「な行ならべ」。トランプの7並べの変形のようなゲームである。最初に「なにぬねの」をテーブルの中央に縦に並べ、7並べのごとく、「な」の次は「た」、その次は「さ」とういう具合に並べる。もちろん、反対側も、「は」の次は「ま」、「や」という具合に並べる。「やゆよ」と「わをん」の場所は少し工夫して、絵札を入れて続けるとか、省略したりする。文字を覚えたばかりの子供にぴったりかも。

 ルールは単純だから、誰でも覚えられるのがいいし、な行から遡るので、普段とは勝手が違って、大人にも意外に難しいのが楽しい。

 お正月、普通のカルタ遊びに飽きたら、それともちょっとした脳の運動にぜひどうぞ。

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柳澤佳子『生きて死ぬ智恵』を読む2009年01月04日

柳澤佳子『生きて死ぬ智恵』(
 新たな年を迎えた。ふと本棚の柳澤佳子『生きて死ぬ智恵』がふと目に入って手に取った。ざわざわしていた気持ちが、瞬く間に落ち着いていくのが感じられた。

 「般若心経」は、『大般若波羅蜜多経』(全600巻)のエッセンスを、「空」の一字に集約してごく短く説いた経典である。そして私達が目にしている般若心経は、唐の名僧・三蔵法師玄奘が、この経典をわずか262文字(最後の「般若心経」まで入れると266文字)で漢訳したものである。三蔵法師玄奘の翻訳、ということについては異説もあるようだが、詳しくは知らない。

 ところで、この「般若心経」、中国語では音だけ聞いても、難しいなりに意味が伝わる。玄奘の漢訳を意識して読むと、一つ一つの真理を各4文字できれいにまとめており、中国語としても美しい響きを持っている。そしてその短い語句に実に多くの意味を込めている。この漢訳、サンスクリットの原典とは多少異なる部分もある。

 一方、日本の読経の方法で漢字を音読すると、冒頭の「觀自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄」は「くわんじざいぼさつ ぎやうじんはんにやはらみつたじ せうけんごうんかいくう どいちさいくやく」となる。読経に際して、漢字を音読すると、リズムが取りやすいのかもしれないが、日本語になっていないから、素人には音だけ聞いても訳が分からない。

 漢訳の原文を踏まえて、柳澤佳子氏が「心訳」した「般若心経」を読む。上述の冒頭部分、柳澤流ではこうなる。「すべてを知り 覚った方に謹んで申し上げます 聖なる観音は求道者として 真理に対する正しい智慧の完成をめざしていたときに 宇宙に存在するものには 五つの要素があることに気づきました。」単なる翻訳ではなく、彼女なりの解釈が加わった美しい丁寧な文体で、非常に味わいがある。日本人なので、美しい日本語で説かれた方がやはり心にしみ入るのだろう。

 柳澤佳子さんの本を紹介してくれたのは母である。NHKのハイビジョン特集で放送された「いのちで読む般若心経 生命科学者 柳澤佳子」を見た母が、ぜひに、と勧めてくれた。心がざわめいているとき、この本のページを捲ると、心に静寂が訪れる気がする。

読んだ本:柳澤佳子『生きて死ぬ智恵』(愛蔵版DVDBOOK、小学館、2006)

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猫って2009年01月06日

猫のピーちゃん
 写真を見ながら猫を描いた。猫の顔をよく見ると、それぞれのパーツが上手く組み合わさっている。描いてみると猫の顔の構造が良く分かる。目や鼻の形とか、色とか、毛の流れとか、今更ながら発見があって、なかなか楽しい。

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友が皆われより偉くみゆる日よ――NHK「もっと知りたいノーベル賞 小林さん・益川さんにとことんQ」2009年01月06日

 NHKで「もっと知りたいノーベル賞 小林さん・益川さんにとことんQ」を見た。番組の軸は「スタジオに集まった50人の若者たち(中学~大学生)とノーベル賞受賞者、益川敏英、小林誠両博士とのざっくばらんな対話」であり、それに加えてアメリカ在住の南部陽一郎さん、化学賞の下村脩さんからのメッセージも紹介された。この番組の中にとても印象深い内容があった。

 一つは南部さんのエピソード。1952年から二年間、アメリカのプリンストン高等研究所にいたとき、多くの優秀な研究者(当時の所長はオッペンハイマー。アインシュタインも在籍)がいて、折々様々なことについて議論する機会にめぐまれた。そのときのことを、南部さんは「天国でもあり地獄でもあった」と述べる。周りに圧倒されたのか、いい仕事ができなかったという。その心境を石川啄木の「友がみな われよりえらく みゆる日よ」と表現していたのが印象的だった。もっとも、このまま研究成果を残さずに帰国は出来ないと考えて、シカゴ大に移り、1960年代に量子色力学と自発的対称性の破れの分野において先駆的な研究を行い、弦理論の創始者の一人としても知られるようになるのだから、このときの挫折感は、彼の原動力の一つになったのだと思う。

 もう一つは益川さんが、スタジオの若者からの質問に答えた言葉。UFOを信じるか、と問われて、「そのようなものを見たことはあるが、それをUFOだとは思わない。光を発する自然現象はいっぱいあると思う。科学とは肯定の為の否定の連続である。」というようなことを言っていた。益川さんの科学者らしい誠実な姿勢に感心した。また自然科学だけではなく、私がやっていることにも繋がる大切なことのように思え、感慨深かった。

 番組の内容とはあまり関係ないが、下村さんのご自宅が紹介されていて、その書斎と実験室がテレビに映っていた。夫婦であのような素敵な部屋を持てたらいいな(^^) (修正日:2009年1月10日)

見た番組:NHK「もっと知りたいノーベル賞 小林さん・益川さんにとことんQ」 http://cgi4.nhk.or.jp/feature/index.cgi?p=AspdQqSP&c=1
参考:友が皆 われより偉く みゆる日よ 花を買いきて 妻としたしむ…石川啄木「一握の砂」

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憎悪の連鎖を断ち切るもの--イスラエルとパレスチナ2009年01月06日

 12月27日から始まったイスラエルのガザ攻撃、CNNのニュースでは(パレスチナ医療関係筋によれば)、死亡したパレスチナ人は530人を超えたという。地上侵攻を開始してからの死亡者は82人、うち子どもは30人、女性は20人であり、負傷者も2750人にのぼっており、大半は民間人であるらしい。またこの中からテロリストが生まれるのだろうか。憎悪は憎悪しか生まない。このイスラエルとパレスチナの「憎悪の連鎖」を断ち切る方法はないものか。

 今日の天声人語に2篇の対照的な詩が載っていた。

 一つはパレスチナを代表する詩人・マフムード・ダルウィーシュ(1941-2008)の詩の一節「おれは 民衆を憎まない。/おれは だれからも盗まない。/けれどもだ、/もしも おれが怒ったなら/おれは わが略奪者の肉を食ってやる。/気をつけろ、おれの空(す)きっ腹に、/気をつけろ、おれのむかっ腹に。」ダルウィーシュはイスラエル建国のときに故郷を奪われたという。以前、広河隆一編『パレスチナ 1948 NAKBA』(当ブログ2008年6月29日の記事参照)をみた。ダルウィーシュは1941年生まれだから、7歳で「NAKUBA」(大惨事)にあったことになる。その後の人生はパレスチナのために捧げられたようなものだ。この悲劇に遭わなければ、家族で仲良く暮らし、将来に夢を抱いて、普通に人生を送れただろうに、そんな普通の幸せを彼は幼くして奪われてしまったのだ。憎しみの根は深い。

 もう一つはハマスの自爆テロに遭って15歳で落命したイスラエルの少女・バット・ヘン・シャハクが残した日記に記された詩である。「美しい言葉の裏側に/苦しみ、痛み、恐れ、不安の年月が/隠されています/でも、これらの言葉の倉庫には/もう一つの言葉がある――それは、希望」この平和への切実な希求は、テロで犠牲になった一少女だけでなく、イスラエルの人々も、パレスチナの人々も、そして世界中の人々も持っている。その数は戦いをのぞみ、暴力で何かを奪い、或いは奪い返そうとする人々の数よりも多いはずだ。

 今回のガザ攻撃をみても、この問題では、時間が憎しみを薄れさせるということは期待出来ないようだ。暴力は繰り返され、憎しみが再生産されている。どこかに、イスラエルとパレスチナの「憎悪の連鎖」を完全に断ち切り、双方の人々に幸せをもたらすことができる方法はないものだろうか。

参考:1月6日「天声人語」『朝日新聞』

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柳澤佳子『命の日記』を読む2009年01月08日

柳澤佳子『いのちの日記』(小学館、2005)
 柳澤佳子さんの『生きて死ぬ智恵』を読んでいて気になったことがあった。例えば、「心訳」にたびたび登場する「粒子」という言葉である。「粒子」という言葉に象徴される「般若心経」の新しい捉え方は、新鮮で、現代を生きる私には受け入れやすい。でも、これは相当に新しい言葉であり、考え方のように思われた。だから違和感があった。また、科学者である彼女が「般若心経」にたどり着いた人生の軌跡についても関心があった。そこで柳澤さんのもう一冊の著書『いのちの日記』を読んでみた。

 写真が載っていた…可愛らしい少女のころ、学生時代、初めての出産、研究者として第一線で活躍していた頃…病を得る前の柳澤さんは清楚で知的で美しく溌剌とした、素敵な女性である。お茶大2年の時に婚約して、夫となる人の待つアメリカへ渡り、世帯宿舎に住んで、大学院でドクターをとり、妊娠7ヵ月で帰国、慶應大学医学部に助手として就職する。結婚生活も、研究者としてのスタートも非常に恵まれたものであったといえるだろう。

 でも、その身体にはいつの頃からか病魔が巣くっていた。そこに綴られる原因不明の病気のもたらす身体的な痛みと苦しみ、周囲の無理解に心傷つく日々は読んでいる私自身も胸が締め付けられるようであった。柳澤さんはその身体的精神的な苦悩から、宗教に救いを求め、実に多くの哲学、心理学、精神医学、宗教等の本を読み、思索を重ねている。中でもドイツの神学者・ボンヘッファー(1906-1945)の「神の前に、神とともに、神なしに生きる」という思想の影響は大きく、そこから「神は脳の中にある」という考え方にたどり着いたようである。

 「粒子」という考え方(100頁~)、についても載っていた。私は「粒子」という考え方は新しいものだと思っていた。でも、柳澤さんは、紀元前5世紀にはギリシアの哲学者レウキッポスとデモクリトスは「原子(アトム)」という粒子を考えていたことを指摘し、ブッダの生涯を中村元氏のいう紀元前463-383年とするなら、ブッダは原子という考え方を知っていた可能性があるのではないか、と述べる。古代インド仏教芸術とヘレニズムの影響、アレキサンダー大王の東征などを通して、インドに「原子」の考え方が伝わり、それがブッダの思索に影響した可能性もないとはいえないだろう。でも、それは現時点では推測に過ぎないので、柳澤さんの現代語訳は、科学者としての視点をもつ彼女自身がたどり着いた思想に基づいた解釈を加えたもの、として捉えておこう。

 病気になる前の順調と思われた人生から、「人生は苦なり」と長い一日を堪え忍んだ苦悩の日々、多くの思索を経て、柳澤さんが得たものを、私達に惜しげもなく伝えてくださるのは実にありがたいことである。

 岩波の中村元氏訳の『般若心経・金剛般若経』『ブッダのことば』も夫に借りて読んでいる。こちらも別の意味でいろいろ考えさせられている。

読んだ本:柳澤佳子『いのちの日記』(小学館、2005)

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仏典翻訳の歴史――中村元氏訳『ブッダのことば』解説2009年01月09日

 中村元氏・紀野一義氏訳註『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)を読んでいる。中村元氏による日本語訳と解説(註)はとても分かりやすい。これを読んでいるうちに、仏典の翻訳というものがどのように行われてきたのか、気になりだした。

 仏教の経典は仏教の開祖であるゴーダマ・ブッダ(釈尊)が弟子に話して聞かせた内容を死後に記録したものである。ブッダは生前教えを文字に記すことを許さなかったといい、そのため、経典は暗記で保持され、ブッダの死後に弟子達が教えをまとめ、文字化したらしい。

 中村元氏訳の『ブッダのことば』にそのあたりの解説を見つけた。それによれば、ブッダの死後、仏弟子たちは教えの内容を簡潔にまとめ、あるいは韻文の詩の形に表現したという。これは古代マガダ語か、マガダ語の影響の強い俗語であったと推定される。それがある時期パーリ語に書き換えられ、現在ではパーリ語聖典のうちに伝えられている。一方、原始仏教聖典の全てをまとめた三蔵(経蔵、律蔵、論蔵)は、西暦紀元後にもとの俗語からサンスクリットに翻訳され、それがチベット、中国で翻訳されるという経緯を辿ったらしい。
 
 仏典は長い歳月の中で数々の言語による翻訳を経て、サンスクリットになり、そして漢語訳、チベット語訳になったのである。そしてそれが漢語訳を経て、日本へともたらされたわけである。

読んでいる本:中村元氏・紀野一義氏訳註『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫、1960)
参考:中村元氏訳『ブッダのことば』(岩波文庫、1984)

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ウシ模様のヤギ・うしかくん2009年01月09日

ウシに見えるけど本当はヤギ・うしかくん
 最近の新聞のトップは景気の急激な悪化とガザの悲劇…暗く悲しいニュースばかりが続いている。
 
 新聞社の読者への思いやりだろうか、今日の朝日新聞・朝刊の一面に可愛い写真が載っていた。丑年だから可愛い子牛を載せたのかな、と思って記事を見たら、これがなんとホルスタイン柄の山羊。母親は茶色で、一緒に生まれた妹も茶色だそうで、突然変異らしい。公募して決まった名前は、牛みたいな山羊だから、「うしか」。妹はスタッフの方が「やぎよ」と命名したそうだ。

 可愛かったので、思わず描いてみた。うしかくん、子山羊と言われればそんな気もするが、子牛と言われても違和感がない。山羊はウシ目(偶蹄目)ウシ亜目(反芻亜目)ウシ科ヤギ属に分類されるそうだから、意外に近いのかも。

参考:1月9日・朝日新聞
http://www.asahi.com/national/update/0108/TKY200901080201.html
成田ゆめ牧場 http://www.yumebokujo.com/

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翻訳として見る三蔵法師玄奘訳「般若心経」2009年01月10日

 中村元氏・紀野一義氏訳註『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫)を読んで初めて知ったのだが、「般若心経」について、三蔵法師玄奘の訳にはサンスクリット原典(以下、原典と呼ぶ)と異なる部分があるという。

 原典の日本語訳と玄奘の漢訳を比べると、確かに、玄奘の漢訳には不訳や加訳があることがわかる。例えば「度一切苦厄」(一切の苦厄を度したまえり)というのは原典にはない。玄奘による加訳であるらしい。また、原典にある「物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象でありえるのである」という部分は玄奘の漢訳にはない。
 
 この不訳の部分、中村氏の解説によれば、原典では、「物質的現象(色)と実体がないこと(空)との関係が三段に分けて説明されている」部分であるという。日本語訳は以下のようになっている。

「この世においては、物質的現象には実体がないのであり、実体がないからこそ、物質的現象で(あり得るので)ある。
実体がないといっても、それは物質的現象を離れてはいない。また物質的現象は、実体がないことを離れて物質的現象であるのではない。
(このようにして)およそ物質的現象というものは、すべて、実体がないことである。およそ実体がないということは、物質的現象なのである。」

 これを玄奘は以下のように訳している。
「色不異空空不異色
色即是空空即是色」

つまり、最初の一段がなく、後の二段のみを訳しているのである。だからといって、玄奘が用いた原本が元から二段だったということもなさそうである。中村氏の註によれば、敦煌で発見された『唐梵翻対字音般若波羅蜜多心経』は玄奘が用いたサンスクリット原本と同じであることが記されており、こちらには三段に分けて記されているという。このとおりなら、玄奘は原文に三段に分けてあったものを、故意に二段に省略したということになる。省略の理由は分からない。また、先に述べた加訳の理由も分からない。それでも、玄奘訳がもっとも普及しているということを踏まえると、玄奘が翻訳に際して、新たな価値観を加え、何かを削り取ったことが、東アジアにおける仏教の布教に有利に作用した可能性もある。玄奘という人物について、もっと知りたくなってきた。

読んでいる本:中村元氏・紀野一義氏訳註『般若心経・金剛般若経』(岩波文庫、1960)

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お餅つき体験2009年01月11日

お餅つき
 娘の小学校で開催された「餅つき大会」に親子3人ででかけた。低学年の時間枠だったこともあって、着いたとき、校庭はすでに親子でいっぱいだった。
 まずは餅つき体験の列に並んだ。ようやく娘の番になった。杵を持って、石臼の餅をつこうとしたがうまくいかない。そこで少し短めに持ち直すと今度は上手くいった。娘がお餅をつく姿はなかなかりりしかった(^^)
 そういえば、関西で餅つきをするときは、いつも石臼のような気がする。関東では、餅つきといえば、石臼ではなく、木臼だった。木臼には、関東では「下広型」、山形では「上広型」、東北では「くびれ型」、東北北部や北海道では「アイヌ型」等、地方により特色のある臼の形がある。でも石臼のことはよく分からない。関西出身の友人によれば、石臼は木の臼と違い、カビが生えたり、割れたり、という心配がないところがいいらしい。
 お餅つき体験の後は、美味しいお餅をいただいた。こちらも長蛇の列。この日はとても寒かったので、待っている間に身体が冷えてくるのがつらかった。でもお餅を用意したり、配っている人はもっと寒かったに違いない。感謝である。いただいた4種類のお餅、きなこ、ぜんざい、さとうじょうゆ、のり、それぞれおいしかった(^^)

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