中国・民初、五四新文化運動以前の女子教育観2009年03月19日

 『中国女性運動史1919-49』の五四運動期前後を読み返して、改めて、五四新文化運動が女性解放運動に与えたインパクトは大きいと思った。復習の意味も込めて簡単にふりかえっておく。

 五四運動以前も、清末には女子学堂の学制が制定されるなど、徐々に女子教育は組み入れられている。また、一部の進歩的知識人には「進学、男女共学、女子の政治学校設立」を主張する論調も現れるようになってきていた。しかし、民国になっても、統治階級の指導思想は「賢妻良母」の教育観に留まっており、それは社会のかなりの人々(女性自身を含む)の見方でもあった。

 五四運動以前の女子教育への認識を典型的に反映したものとして、先に紹介した商務印書館の『婦女雑誌』に発表された王卓民「わが国の大学はまだ男女共学に適さず」(4巻5期1918年5月)が有名である。

 その論旨は「今日の社会が女性に望むものは、ほとんど賢妻良母として、家庭をとりしきり、子女の教育ができることのみである」から「まだ大学に入って修学する必要はない」というものであった。面白いのは、人口が多く職業の少ない中国では、女性は文学、絵画、医薬、音楽、刺繍、織物、および各種の軽い手仕事だけをやっていればよいのであり、農業、工業、理学、鉱業、法律、商業については「わが国の女性が学ぶに相応しくない」ものであり、よって、女性は「深く学問をきわめる必要はない」とみなしていることだ。

 また男女共学に反対する理由として封建礼教の女性への要求を持ち出しているのも興味深い。「わが国において男女の境界は厳しく定められ、直接にやり取りをしないというのは、古よりの明訓である」、もし共に大学に上がるならば、「必ずや交際があり、もののやり取りが行われる。必ず訪問が多くなり、一挙一動に慎みを欠くようなことがあれば、謗りを受ける」、「風俗が害され、道徳は完全に破壊される」と述べている。

 この王卓民の文章が発表された後、北京大学の学生・康白情が「王卓民君の、わが国の大学のなお男女共学に適さずの論を読みて反論す」を書いて、逐一反駁した。これをきっかけに、男女共学について論争が引き起こされた。

 康白情等を含め、当時の進歩的な社会の世論の特徴は、「女性解放はまず教育から着手すべきで、女性が近代的な教育を受けて初めて十分な知識や技能を獲得でき、社会で独立した生活を維持しうる職業につくことができるのであり、これが男女の権利の平等を達成するための根本的な条件であり、家庭問題、婚姻問題の解決も、女性がそれなりの教育を受けることが出来るか否かにかかっているとみなして」いるところである。

 この論争は五四運動によって中断されることになる。そして、五四運動を経た後の中国社会では、女性解放と女子教育の見方にも議論の質にも大きな変化が生じることになる。

参考:中華全国婦女連合会/著、中国女性史研究会 /翻訳『中国女性運動史1919-49』(論創社、1995)

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