中国初の国産教科書?1879年発行の(陽湖)楊少坪編訳『英字指南』2009年01月15日

 中国の中国人編纂による最初の教科書は、1896年に創設された南洋公学師範院の教師と学生が編纂した1898年発行の『蒙学課本』(上中下)であると思っていたのだが、どうも違うらしい。「観点:多くの外来の科学技術用語は日本製ではなかった」(『北京晩報』2001年5月31日)という記事によれば、1879年発行の英語教科書が発見されたというのだ。

 その教科書は、1879年発行の(陽湖)楊少坪編訳『英字指南』(求志草堂出版、線装本、全6巻、約500頁。)である。社会科学院で博士号をとったという張斌氏が、2000年の夏、北京のアンティークマーケットで見つけ購入した。本の自序によれば、「楊少坪は上海広方言館(外語学校)の卒業生で、成績優秀だったことから、この教材を編訳した」とあるらしい。また、「脱稿後に日本領事の品川忠道に見て貰うようにお願いしたが、長い間戻ってこなかった」とも。

 北京晩報の記者は『英字指南』の実物を確認している。字の書き方や発音等の入門から、基礎単語帳に加え、貿易やビジネス用語などを網羅した内容らしい。興味深いことに、この英語教科書、英語の発音を中国語の呉方言で標記している。例えば、“custom”を“可史脱姆”、“mother”を“末此安”としているそうだ。近代化の初期に、呉方言による英語標記が行われたことで、現在でも多くの外来語の語彙に呉方言の影響が見られるという。

 ところで、この記事、タイトル「観点:多くの外来の科学技術用語は日本由来ではなかった」とあるように、話の焦点は要するに「『英字指南』の発見で、日本で翻訳されて後に中国へ輸入されたと思われていた科学技術関連の語彙について、中国人が先に翻訳したものを日本人が借りて使っていたことがわかった」ということにある。その論拠は化学元素名や「bank=銀行」「museum=博物院」などの翻訳語彙が、『英字指南』に記載されていた、というところにあるらしい。

 しかし、そう断じるには早計すぎるだろう。1879年といえば、すでに日本の近代化の影響が及んでいる時期である。自序にあった編訳者がわざわざ日本領事に脱稿した原稿を見て貰おうとした経緯も気になる。また、前述したように(本ブログ2008年12月25日「中国・清末、出版業の近代化」を参照)、キリスト教系の出版社が欧米の自然科学の専門書を翻訳し発行することで、欧米の自然科学の伝播が始まった時期でもあったし、ミッション系の学校では欧米の教科書を翻訳して授業に使っていた。だからどこかに原本、或いはおおいに参考にした本もあるかもしれないとも思う。なにはともあれ、一度よく見てみたいものだ。

 ちなみに『英字指南』よりも少し時期は下るが、他にも1895年鍾天緯編の『語体文教本』というのもあるらしい。

参考:北京晩報2001年「観点:大量外来科技匯并非来自日本」http://tech.sina.com.cn/o/69289.shtml (中文)

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コメント

_ Cosplay ― 2009年03月21日 15時18分28秒

外来語というか、西方の科学、哲学概念を表現する訳語の変遷歴史にとても興味が御座います。まあ、素人の小生には、どちら先論に巻き込まれないと思いますが、中国人が日本語を勉強する時、日本人が中国を勉強する時、”上流”水準になると、ここは面白いと思います。特に書くことが必要とする勉強レベルでは、かなり影響される自覚がございます。いかがでしょうか

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