台湾出兵後の日本認識の深化2009年02月25日

 引き続き、北京大学歴史系教授・王暁秋氏の論文「近代中国人日本観的変遷」の要旨をまとめていく。

 1874年の日本による台湾出兵は、中国の士大夫階級にとって青天の霹靂ともいえる出来事であった。「[東夷小国]の日本までが中国をいじめにかかるとは、一体日本国内でどんな変化が起きたのだ?」というわけである。このときから、中国士大夫階級は、日本の近況に関心を抱き、明治維新の評価・分析(陳其元『日本近事記』をはじめ多くは否定的だったが、金安清『東倭考』のように肯定的に捉えるものあった)を試みるものをあらわれた。しかしこれらは実際の見聞に基づいたものではなかった。

 百聞は一見に如かず、近代中国人の日本への認識は、1876年に公務の途中で(アメリカ合衆国独立を記念して開催されたフィラデルフィア万国博覧会に参加)日本を訪問した官僚・李圭の見聞が報告されたり(『環遊地球新録』)、1877年に清政府が正式に駐日公使を任命して日本に駐在させたりすることで急速に深まっていった。初代公使・何如璋の赴任日記『使東述略』は日本を客観的に観察し、好意的に記すと共に、従来の地理や歴史への誤った情報を正す役割を果たしたようである。

 また、このとき何如璋に従って参事官として日本に駐在した黄遵憲は、5年間に渡り広く日本の各界人士と交わり、各地を視察し、日本の政治、経済、文化等の資料を集め、各機関が発行している公報、法令、統計表などを集め、1879年から8年をかけて1887年に近代日本研究の大著『日本国史』を完成させる。これはその後、相当長期間にわたり、中国人にとっての最も詳しい日本の参考書となった。

 王暁秋氏は、近代中国人の日本観が急激に変化した経緯について、明治維新の成功を「関鍵」(キーポイント)、日清戦争を「転折点」(ターニングポイント)と述べている。次は日清戦争をきっかけにどのように変化したのか、というあたりをまとめてみよう。

参考:王暁秋「近代中国人日本観的変遷」『近代中国與世界-互動與比較』(紫禁城出版社、2003)

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