画集・智恵子抄『恋文』 ― 2009年02月28日

本棚を整理していたら、懐かしい本を見つけた。友人から贈られた画集・智恵子抄『恋文』である。 この本は高村光太郎の智恵子抄からの抜粋と妻・智恵子の切抜絵で構成されている。
ページを捲っている内に、好きな詩を見つけた。小学校の高学年か中学生の頃、詩集・智恵子抄がとても好きだった。ノートに書き写したり、暗唱したり、その後も関連の展覧会等があると、よく足を運んでいた。この詩を口ずさむと、あの頃の自分に返ったような気分になる。
「あどけない話」 高村光太郎
智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
「あどけない話」は智恵子の故郷への思いが深いことが分かる詩の一つである。智恵子の心が病んだ原因は、実家が破産したことであったと言われている。
巻末の高村光太郎「智恵子の切抜絵」には、智恵子の切抜絵の由来が記されている。精神分裂病を患い、また結核でもあった智恵子が入院していたとき、精神病患者には簡単な手工がいいと聞いた光太郎が持っていった色紙が、折り鶴から、様々な意匠を凝らしたものに変化していき、いつか切抜絵になったという。 智恵子はマニキュアに使う小さな先端の曲がった鋏で、「その鋏一丁を手にして、暫く紙を見つめていてから、あとはすらすらと切り抜いて」いたといい、その題材は「智恵子は触目のものを手あたり次第に題材にした。食膳が出ると其の皿の上のものを紙でつくらないうちは箸をとらず、そのため食事が遅れて看護婦さんを困らしたこ事も多かった」という。そのようにして出来た作品を病室を見舞う光太郎に披露するのが彼女の楽しみだった。光太郎は言う。「此を私に見せる時の智恵子の恥ずかしそうなうれしそうな顔が忘れられない」と。
読んだ本:画集・智恵子抄『恋文』(講談社、1996)
ページを捲っている内に、好きな詩を見つけた。小学校の高学年か中学生の頃、詩集・智恵子抄がとても好きだった。ノートに書き写したり、暗唱したり、その後も関連の展覧会等があると、よく足を運んでいた。この詩を口ずさむと、あの頃の自分に返ったような気分になる。
「あどけない話」 高村光太郎
智恵子は東京に空がないといふ、
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切つても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出てゐる青い空が
智恵子のほんとの空だといふ。
あどけない空の話である。
「あどけない話」は智恵子の故郷への思いが深いことが分かる詩の一つである。智恵子の心が病んだ原因は、実家が破産したことであったと言われている。
巻末の高村光太郎「智恵子の切抜絵」には、智恵子の切抜絵の由来が記されている。精神分裂病を患い、また結核でもあった智恵子が入院していたとき、精神病患者には簡単な手工がいいと聞いた光太郎が持っていった色紙が、折り鶴から、様々な意匠を凝らしたものに変化していき、いつか切抜絵になったという。 智恵子はマニキュアに使う小さな先端の曲がった鋏で、「その鋏一丁を手にして、暫く紙を見つめていてから、あとはすらすらと切り抜いて」いたといい、その題材は「智恵子は触目のものを手あたり次第に題材にした。食膳が出ると其の皿の上のものを紙でつくらないうちは箸をとらず、そのため食事が遅れて看護婦さんを困らしたこ事も多かった」という。そのようにして出来た作品を病室を見舞う光太郎に披露するのが彼女の楽しみだった。光太郎は言う。「此を私に見せる時の智恵子の恥ずかしそうなうれしそうな顔が忘れられない」と。
読んだ本:画集・智恵子抄『恋文』(講談社、1996)

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