憎悪の連鎖を断ち切るもの--イスラエルとパレスチナ ― 2009年01月06日
12月27日から始まったイスラエルのガザ攻撃、CNNのニュースでは(パレスチナ医療関係筋によれば)、死亡したパレスチナ人は530人を超えたという。地上侵攻を開始してからの死亡者は82人、うち子どもは30人、女性は20人であり、負傷者も2750人にのぼっており、大半は民間人であるらしい。またこの中からテロリストが生まれるのだろうか。憎悪は憎悪しか生まない。このイスラエルとパレスチナの「憎悪の連鎖」を断ち切る方法はないものか。
今日の天声人語に2篇の対照的な詩が載っていた。
一つはパレスチナを代表する詩人・マフムード・ダルウィーシュ(1941-2008)の詩の一節「おれは 民衆を憎まない。/おれは だれからも盗まない。/けれどもだ、/もしも おれが怒ったなら/おれは わが略奪者の肉を食ってやる。/気をつけろ、おれの空(す)きっ腹に、/気をつけろ、おれのむかっ腹に。」ダルウィーシュはイスラエル建国のときに故郷を奪われたという。以前、広河隆一編『パレスチナ 1948 NAKBA』(当ブログ2008年6月29日の記事参照)をみた。ダルウィーシュは1941年生まれだから、7歳で「NAKUBA」(大惨事)にあったことになる。その後の人生はパレスチナのために捧げられたようなものだ。この悲劇に遭わなければ、家族で仲良く暮らし、将来に夢を抱いて、普通に人生を送れただろうに、そんな普通の幸せを彼は幼くして奪われてしまったのだ。憎しみの根は深い。
もう一つはハマスの自爆テロに遭って15歳で落命したイスラエルの少女・バット・ヘン・シャハクが残した日記に記された詩である。「美しい言葉の裏側に/苦しみ、痛み、恐れ、不安の年月が/隠されています/でも、これらの言葉の倉庫には/もう一つの言葉がある――それは、希望」この平和への切実な希求は、テロで犠牲になった一少女だけでなく、イスラエルの人々も、パレスチナの人々も、そして世界中の人々も持っている。その数は戦いをのぞみ、暴力で何かを奪い、或いは奪い返そうとする人々の数よりも多いはずだ。
今回のガザ攻撃をみても、この問題では、時間が憎しみを薄れさせるということは期待出来ないようだ。暴力は繰り返され、憎しみが再生産されている。どこかに、イスラエルとパレスチナの「憎悪の連鎖」を完全に断ち切り、双方の人々に幸せをもたらすことができる方法はないものだろうか。
参考:1月6日「天声人語」『朝日新聞』
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今日の天声人語に2篇の対照的な詩が載っていた。
一つはパレスチナを代表する詩人・マフムード・ダルウィーシュ(1941-2008)の詩の一節「おれは 民衆を憎まない。/おれは だれからも盗まない。/けれどもだ、/もしも おれが怒ったなら/おれは わが略奪者の肉を食ってやる。/気をつけろ、おれの空(す)きっ腹に、/気をつけろ、おれのむかっ腹に。」ダルウィーシュはイスラエル建国のときに故郷を奪われたという。以前、広河隆一編『パレスチナ 1948 NAKBA』(当ブログ2008年6月29日の記事参照)をみた。ダルウィーシュは1941年生まれだから、7歳で「NAKUBA」(大惨事)にあったことになる。その後の人生はパレスチナのために捧げられたようなものだ。この悲劇に遭わなければ、家族で仲良く暮らし、将来に夢を抱いて、普通に人生を送れただろうに、そんな普通の幸せを彼は幼くして奪われてしまったのだ。憎しみの根は深い。
もう一つはハマスの自爆テロに遭って15歳で落命したイスラエルの少女・バット・ヘン・シャハクが残した日記に記された詩である。「美しい言葉の裏側に/苦しみ、痛み、恐れ、不安の年月が/隠されています/でも、これらの言葉の倉庫には/もう一つの言葉がある――それは、希望」この平和への切実な希求は、テロで犠牲になった一少女だけでなく、イスラエルの人々も、パレスチナの人々も、そして世界中の人々も持っている。その数は戦いをのぞみ、暴力で何かを奪い、或いは奪い返そうとする人々の数よりも多いはずだ。
今回のガザ攻撃をみても、この問題では、時間が憎しみを薄れさせるということは期待出来ないようだ。暴力は繰り返され、憎しみが再生産されている。どこかに、イスラエルとパレスチナの「憎悪の連鎖」を完全に断ち切り、双方の人々に幸せをもたらすことができる方法はないものだろうか。
参考:1月6日「天声人語」『朝日新聞』
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コメント
_ ひろ ― 2009年07月19日 13時32分47秒
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ただ言葉で憎まない、怒らないって言うのは簡単だけど、実際できるかな?って疑問が残ります。
私自身がそうであるように感情失調のような状態になって、喜怒哀楽を感じる事すらできなくなってしまいます。
最近になって思ったのが、憎まないのではなく、大いに憎しみの感情は持ってよいがそれを復讐や報復に使うのではなく、別の行為に転嫁する方法なりを見つけないとだめなんじゃないかと・・・。
始めに憎しみに基づいた行動をとった人は自然法則で因果応報が返ってくるだろうからことさら報復する必要もないのではないかと。