京師大学堂後の服部宇之吉2009年02月04日

 服部宇之吉は京師大学堂の教習の仕事を終えて帰国後、東大に復帰(1909-、支那哲学講座主任)した。哲学科出身で、ドイツへの留学経験もあり、西洋哲学やその方法論にも詳しかったはずの、服部宇之吉が学術研究のテーマとして選んだのは「礼」の研究であった。(「支那古礼と現代風俗」「井田私考」「宗法考」「礼の思想附実際」など)講義の題目も多くは礼に関するもので、ハーバード大学でも一年間(1915-16年)日本学講座で教授を務めるが、ここでも儒教に関する講義を行っている。

 なお、服部宇之吉は九死に一生を得た義和団の乱の賠償金(外務省所管の団匪賠償金)によって運営された中国で行われた東方文化事業、東京に設立された東方文化学院所長(京都にも。こちらは北京篭城で生死を共にした狩野直喜が所長、後の京大人文研)としての仕事にも熱心に取り組んでいる。(東方文化学院は後に東大の東洋文化研究所に吸収合併される)

 私見であるが、義和団の乱で二ヶ月間の北京篭城を体験したことが、また京師大学堂の五年間が、服部宇之吉の中の何かを変えたのではないかと思う。中国という不可思議な存在を内側から解明する鍵として「礼」を捉えていたのではないかと想像する。

 ところで、服部宇之吉はその後も東大文学部長(1924-1926)、京城帝国大学総長(1926-1928)を兼任、国学院大学総長(昭和4-8)、東方文化学院理事長、同東京研究所長(昭和4-14)になり、また1921年・大正10年からは東宮職御用掛を拝命するなど、順調な出世街道を歩んだ。

 ひとつだけ…孫麗青・楊紀国「服部宇之吉和近代中国教育」には、「服部の侵華思想」という見出しもあったのが気になっている。少なくとも京師大学堂時代の仕事にはそのような部分はないと思う。その後のことについては、手元の資料不足でよく分からない。戦前の日本中国学についての何かで見たことがあるような気もする。先行研究がたくさんあるので、もし何か分かれば補足するつもりである。
 
参考:柴五郎中佐・服部宇之吉『北京篭城日記』(東洋文庫)
孫麗青・楊紀国「服部宇之吉和近代中国教育」(幼児網) http://www.lovety.net.cn/html/show-7316.html (中文)

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