中国・清末、日本人も編纂に関与した超ロングセラー『最新国文教科書』2008年08月04日

 教科書が自由出版だった清末から民初にかけて、大きなビジネスチャンスを掴んだ出版社がある。中国を代表する書店の一つ商務印書館である。外国、特に日本の教科書を翻訳、ノウハウを吸収して教科書を編纂することで急成長を遂げた。英語教科書に漢訳と注釈を付けた『華英初階』(1898年)、日本の最新の教科書を翻訳した『和文漢訳読本』(1901年)、日本の教科書作りのノウハウを取り入れつつ中国の小学生向けに編集された『絵図文学初階』(1902年-1905年)、『最新国文教科書』(1904年)、『最新地理教科書』(1905年)等を次々と編纂出版、教科書出版社の先駆けとなった。その成功を力強く支えたのが日本の出版社金港堂との合弁であった。

 癸卯学制に合わせて編纂された『最新国文教科書』(全10冊)の第一冊目は1904年(光緒30年)2月、上海の商務印書館より出版された。特筆すべきは『最新国文教科書』の編纂には、小谷重(日本文部省図書審査官兼視学官・金港堂社員)、加藤駒二(金港堂社員)、長尾雨山(高等師範学校教授・漢学者)という日本人の教科書専門家3名も加わって、日本の教科書編集で培った簡単な単語から難しい語句へと段階的に発展させる方法を採用したことである。

 この編纂方法により『最新国文教科書』は発売当初から「学びやすい」と大評判となり、政治的な内容が含まれていなかったこともあって、中華民国時代も延々と版を重ねる「超」ロングセラーとなり、後の教科書にも大きな影響を与えた。日本人教科書専門家の協力が国文に留まらないことは『最新地理教科書』(光緒32年・1906年9月20日初版)の表紙に校訂者として「長尾槙太郎」(長尾雨山)の名前が見えることからも明らかである。

 金港堂は教科書専門家の他に、印刷方面でも複数の技術者を送り込み、商務印書館の編集印刷発行の各方面において全面的に協力し近代化につくした。これこそが『最新国文教科書』の大ヒットをはじめとした事業としての成功につながり、のちの業務発展の経済的、技術的基礎を確立し、商務印書館をいわゆる中国五大書店の一つに押し上げる大きな原動力となったのである。

参考:樽本照雄『初期商務印書館研究(増補版)』(清末小説研究会、2004)

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