中華民国・臨時学制から学校系統令(壬子学制)へ ― 2008年11月06日
1912年1月19日頒布の臨時学制「普通教育暫行弁法」「普通教育暫行課程標凖」(以下、臨時学制)はその名称に「暫行」とあるように臨時的なものであり、内容はシンプルで不足があった。そこで、中華民国中央臨時教育会議を経て1912年9月に公布された正式の学制「学校系統令(壬子学制)」(以下、壬子学制)により、詳細な内容が決められた。初等教育について見てみると…
例えば、就学前の教育機関として「蒙養院(幼稚園)」、初等教育段階では、初等小学校卒業後には臨時学制にもあった高等小学校、補習科、乙種実業学校の他に、「別科」「専修科」「実業補習学校」が付け加えられている。
一方課目について見てみると、若干変更が加えられている程度である。
【初等小学校】設置科目は修身、国文、算術、手工、図画、唱歌、体操、状況次第で手工、図画、唱歌、体操、から一科目から数科目減らすことが出来、更に女子は裁縫が必修とされている。臨時学制にあった「遊戯」科が削られ、「手工、図画、唱歌、体操」科も増やせる科目から、削ってもいい科目へと変わっている。
【高等小学校】設置科目は修身、国文、算術、中華歴史、地理、理科、手工、図画、唱歌、体操で、更に男子は農業、女子は裁縫が必修とされた。当地の状況に即して、農業科は削るか商業科に変更してもよく、英語科(或いは他の外国語)に変更することができ、手工、唱歌は暫時欠課にすることもできるようになった。臨時学制にあった「理化」と「博物」が壬子学制にはなく、替わりに「理科」という科目が登場している。二つの科目を統合して「理科」になったものであろう。
総じて壬子学制は臨時学制をベースに、記述内容には若干の変更を施し、足りないところを大きく補ったものだといえるだろう。
参考:李華興 主編『民国教育史』(上海教育出版社、1997)
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例えば、就学前の教育機関として「蒙養院(幼稚園)」、初等教育段階では、初等小学校卒業後には臨時学制にもあった高等小学校、補習科、乙種実業学校の他に、「別科」「専修科」「実業補習学校」が付け加えられている。
一方課目について見てみると、若干変更が加えられている程度である。
【初等小学校】設置科目は修身、国文、算術、手工、図画、唱歌、体操、状況次第で手工、図画、唱歌、体操、から一科目から数科目減らすことが出来、更に女子は裁縫が必修とされている。臨時学制にあった「遊戯」科が削られ、「手工、図画、唱歌、体操」科も増やせる科目から、削ってもいい科目へと変わっている。
【高等小学校】設置科目は修身、国文、算術、中華歴史、地理、理科、手工、図画、唱歌、体操で、更に男子は農業、女子は裁縫が必修とされた。当地の状況に即して、農業科は削るか商業科に変更してもよく、英語科(或いは他の外国語)に変更することができ、手工、唱歌は暫時欠課にすることもできるようになった。臨時学制にあった「理化」と「博物」が壬子学制にはなく、替わりに「理科」という科目が登場している。二つの科目を統合して「理科」になったものであろう。
総じて壬子学制は臨時学制をベースに、記述内容には若干の変更を施し、足りないところを大きく補ったものだといえるだろう。
参考:李華興 主編『民国教育史』(上海教育出版社、1997)
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