中国・中華民国期、三万人の戦災孤児を救った戦時児童保育会2009年07月08日

 戦時児童保育会の編集で生活書店より発行された『抗戦建国読本』特冊(第三版、一九四〇年)を『小学教科書発展史』で見た。これほどに日本帝国主義への憎悪に溢れ、日本人に対する偏見や憎しみが明確な教科書は初めてだった。そこで気になって、戦時児童保育会について調べると、戦時児童保育会は、日中戦争で両親を亡くしたり、親と生き別れになったりした子供を救うために、上海の女性名士の呼びかけによって緊急に創設された超党派の非営利団体であることがわかった。

 もう少し詳しく知りたくなって、取り寄せたのが、『民族之魂――中国戦時児童保育会搶救抗日戦争三万難童紀実』という本だが、これがなかなか重い内容の本である。中国戦時児童保育会、活動期間は1938年から1946年まで、全部で61カ所の児童保育院、孤児院を設立、経費を募金でまかないつつ、三万あまりの戦災孤児(十五歳以下)等を養育した。院内学校では教育も行っていたのであり、前述の教科書は彼らを教育するために実際に使用されていた。

 この本を読んで気づくのは、「中国戦時児童保育会」の政治的立場が非常に微妙なことだ。なんといっても、理事長は宋美齢(蒋介石夫人)、名誉理事長は宋慶齢(孫文夫人)、理事は56名でこの中には鄧(トウ)穎超(周恩来夫人)、はじめ他共産党員の名前もある。国共合作のきっかけとなる西安事件前、女性による超党派の戦災孤児救助活動が行われていたことは、戦後の国民党と共産党の関係の悪化により、大陸と台湾の双方でタブー視され、長い間大きい声で語られることがなかった。

 それに対する配慮もあるのだろう。この本では、中国戦時児童保育会とは直接関係がない、日本軍の子供に対する残虐行為について記述するなど、抗日意識を全面に打ち出している。それでも、長期にわたって封印されてきた歴史的に貴重な証言や貴重な写真が沢山載っており、孤児の救出活動がいかに困難を極めたか、経済的な困難を抱えながら戦時下の保育院経営がどんなに厳しかったか、どんな教育が行われたかなど、具体的な事情が詳しくわかるのがありがたい。

読んでいる本:『民族之魂――中国戦時児童保育会搶救抗日戦争三万難童紀実』(珠海出版社)

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