中国・日中戦争期、戦時児童保育会を支えた寄付金と補助金2009年07月30日

 引き続き、日中戦争期に活動した中国戦時児童保育会の活動を追っている。今度は経済面について覚え書きを残しておこうと思う。

 戦時児童保育会の資金は、寄付金と補助金でまかなわれていた。寄付は個人で行われる場合もあれば、団体の場合もあった。

 まず、国内の寄付が6.8%、宋美齢を筆頭に政府高官とその夫人が高額寄付者に名を連ねている。しかしながら、全体に占める割合が少ないのは、混乱した中での募金活動であって困難が多かったことを思わせる。国内では経済的支援よりは、保育員、教師等スタッフとしての訓練を受けて、自ら活動に身を投じるという形での支援が多かったようだ。

 その一方、国外からの寄付が資金の実に66.5%を占めている。これは国内外の華僑、華人の寄付と外国での募金活動に依る。特に活動開始から戦争終結まで、給料の10%を寄付し続けたタイの華僑、毎月一元の募金を続けたマレーシアの華僑等、膨大な有名無名の「同胞」が生活費を削ってこの活動を支えたという。

 他に中央補助金25.9%、地方補助金0.4%、全体の四分の一を占める。この数字を見ると、国家が戦時児童保育会を支えていた側面があったことが分かる。実際、子供達を大後方(抗日戦争期の国民党支配下の西南、西北地区。同会の施設は四川に多かった)に運ぶための列車、船などは、省長夫人らの働きもあって、優先的に戦時児童保育会が押さえることが出来たようだ。

 寄付と補助金を合わせた総額は5209万6898.3元である。これは「戦時児童保育総会六年来工作報告」という文書で報告されている数字だ。この金額、ピンとこないかもしれない。

 この論文の執筆者林佳樺さんは親切にも、当時の貨幣価値をこんなふうに教えてくれている。1940~1941年の大学卒120元(月給)、大学教授460元(月給)、使用人25元(月給)、他に目安となるものとして人力車1.2元(一回)、床屋10元(一回)をあげている。寄付金および補助金の額がどれほど莫大であったか、分かろうというものである。それでも、抗戦期は後期になるほどインフレがひどくなったため、保育院は深刻な経済難に悩まされた。

参考:林佳樺『「戦時児童保育会」之研究』(台湾・国立中央大学歴史研究所・修士論文、2005)

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