思い出は丸ごと心の中にしまって――三鷹の森ジブリ美術館2008年09月17日

トトロの受付
 先日、娘の幼稚園時代のお友達と三鷹の森ジブリ美術館へ出かけた。トトロのいる偽物の受付を通り抜けて、本物の入口へ赴くと、ちょっと変わったステンドグラスと天井のフレスコ画の空間が出迎えてくれる。「となりのトトロ」や「魔女の宅急便」の登場人物を描いたとてもユニークで可愛らしいデザインである。受付で一人一人異なるフィルムで出来たチケットを受け取って、いよいよジブリの空間へ足を踏み入れる。

 子ども達にひっぱられて、建物探検へ。「まいごになってほしい」という設計者の思惑通り見事に迷子になった私たち。良く分からないまま歩き回った。それがよかった。大人だけで行ったら、たぶん、美術館の図とにらめっこしながら、順序を決めて回ってしまい、宮崎監督の期待を裏切ってしまったことだろう。そのかわり、半分も展示を見られなかったのだけれど、また訪れる楽しみができたというものだ。子ども達と一緒に探検している気分であっちへいったり、こっちをのぞいたり…。あがったりさがったりしていたら、大きな猫バスのお部屋へたどり着いた。猫バスで遊べるのは小学生まで。カメラを出したくなって、ふと見ると、こんな表示が目に入った。

「この空間をご自分の目で見て、身体で感じてください。そして思い出は心の中に大切にしまって持ち帰って欲しい、これが私たちの願いです」

ジブリ美術館、屋内は撮影禁止なのである。子ども達が楽しそうに遊ぶ様子を写真に撮れないのは残念だったが…子供達に表示を読んで聞かせると、子供は「じゃ、よく見ていてね!」と言って、元気よく猫バスの部屋に飛び込んでいった。そういえば、娘の幼稚園はいつも撮影禁止だった。発表会も卒園式も…当時は物足りない気持ちもあったけれども、カメラを気にして自分の目で見ることを忘れがちな私たちに、大切なことを気づかせてくれた。そして、このジブリ美術館も。

 猫バスでたっぷり遊んだ後は、これも不思議な螺旋階段をのぼって、屋上にいった。そこにはラピュタに登場する守り神=ロボットの像があり、いろいろな国の言葉が飛び交い、像の前で写真を撮っていた。ジブリは国境を越えて、愛されているのだな~と、なんとなく嬉しい気持ちになった。それから30分のちょっと不思議なオリジナル映画も楽しんだ。

 ふと、この不思議な美術館をもっと知りたくなってパンフレットを購入した。そこにはジブリ美術館が設立された経緯や宮崎駿監督の美術館構想が載っていた。

 三鷹の森ジブリ美術館、実は三鷹市の市立美術館である。三鷹市が井の頭恩賜公園西園に文化施設建設を条件として使用することで東京都と合意し、三鷹市と徳間書店スタジオジブリ事業部の美術館構想が一致したことから、ちょっと複雑な経緯を経て、公の施設として開設されたのだという。

 館主・宮崎駿監督の美術館構想もとてもユニークだ。例えば「建物は…それ自体が一本の映画としてつくりたい」「運営は…小さな子ども達も一人前にあつかいたい」「展示物は…ジブリファンだけがよろこぶ場所にはしたくない」「こういう美術館にはしたくない!すましている美術館、えらそうな美術館、人間より作品を大事にしている美術館、おもしろくないものを意味ありげに並べている美術館」

 また訪れたい場所が一つ増えた。今度はもっとゆっくり時間をとって、そしてできれば空いているときに、訪れたいものである。

参考:三鷹の森ジブリ美術館パンフレット

美味しく実験『小学生のキッチンでおやつマジック』2008年09月18日

キウィに砂糖を混ぜたところ
 夏休みが終わった後で自由研究も関係ない時期だけれど…『小学生のキッチンでおやつマジック』とっても楽しい本である。友人のブログの記事で出会った本だ。本が届いた日、早速、娘と砂糖+キウィの実験をしてみた。キウィを切ったものに、半カップの砂糖を混ぜて一時間待つとどうなるか…クイズ形式になっている。実験前に結果を予測して、そして実際はどうなるかを観察した。そして、実験結果は美味しくいただいた。小学一年の娘でも簡単にできるのがありがたい。

 他の実験も砂糖、卵、牛乳、小麦粉、果物など、材料は身近なものばかり。そして、なんといっても、この実験で作ったものは全部食べられるのがいい。大体は美味しそうだ。(食欲が湧かないのも若干あるが)面白いのがなによりだが、物質の性質を学ぶ化学実験になっているあたりが、教育的でもある。

 『小学生のキッチンでおやつマジック』は学研の雑誌『3年の科学』に連載した記事を加筆修正したもの。著者・村上祥子さんは電子レンジを駆使したかんたんヘルシー料理の第一人者で30秒発酵パン、バナナ酢の生みの親である。

 それから、実はこの本、実家の母が孫娘のためにブッククラブに入ってくれていて、配本変更を依頼して届いた本である。娘の本好きは、好きな本をいつも読めるようにしてくれている実家の母のおかげと感謝している。

 さて、次は何の実験をやろうかな~。

読んだ本:村上祥子『小学生のキッチンでおやつマジック』(学研、2008)
参考:空飛ぶ料理研究家村上祥子のホームページ http://www.murakami-s.com/index.htm

戦時教育の実際『軍国少年はこうして作られた』2008年09月19日

帖佐勉『軍国少年はこうして作られた』(南方新社)
 先日、鹿児島の知覧特攻平和会館で帖佐勉『軍国少年はこうして作られた』(南方新社、2008)を見つけた。ミュージアムショップの店頭で何気なく手にとってみて驚いた。この本に掲載されている戦時教育の史料は、50点あまり。教科書、戦時のテスト問題、習字、作文とその評価、図画などである。

 宿題プリントには、尋常科一年の教科書『小学国語読本 巻一』の「ススメススメ ヘイタイススメ」を写したものがある。習字には「ハタ」「日本ばんざい」「弓矢たち」(←「たち」は恐らく「太刀」のことだろう)「戦争軍旗大砲」「銃後職場奉公」「赤十字傷病兵」「銃とる気持で鍬とり増産」「軍功感状上聞」他いろいろと載っている。図画にも戦争色が濃い。飛行機、戦車、訓練の様子、軍艦、日の丸の旗、空に浮かぶ凧まで日の丸一色である。唱歌も見事に戦争と天皇崇拝で彩られ、文集でも「戦地の兵隊さんへ」というコラムに子ども達の手紙が載せられ「ヘイタイサンモゲンキニシテ、テキノワルイヤツヲコロシテクダサイ。」などと綴られている。この本によって、戦時、幼い子供の心に、基礎教育を通して徐々に擦り込まれたもの、その実情を垣間見ることができたように思う。

 これほど充実した戦時教育の史料、これらは、他でもない著者の帖佐勉(ちょうさ つとむ)氏自身のもので、母親が保管していたものだという。元教師でもある帖佐氏、ご自身にとって苦い思い出の品々を、よくぞ公開してくださったものである。なんといっても、書名にある「軍国少年」は帖佐氏自身であるのだから。

 報道によれば「帖佐さんは戦時下の教育の実態を伝える活動を30年続けている。教育基本法改正などで教育の国家統制が強まっていると危機感を覚え、出版を企画した」という。帖佐氏は「特に現場の教師に読んでほしい。上から与えられた内容をよく考えず子どもにたたき込む時代を繰り返してはならない」と訴えている。

読んだ本:帖佐勉『軍国少年はこうして作られた』(南方新社、2008)
参考:“軍国少年”の記録出版 鹿児島市の帖佐さん――「教育統制」に危機感(南日本新聞HP)http://373news.com/modules/pickup/article.php?storyid=10492

温めたら消しゴムになる不思議な粘土2008年09月20日

ランドセルとポニョに見えますか?
 娘の誕生日が近づき、弟一家からプレゼントが送られてきた。開けてみると好きなもの・楽しいものがたくさん入っている。中でも娘が喜んだのがクツワの「けしごむをつくろう ケーキのけしごむ」。あたためると、けしごむになる不思議な粘土が赤・黄・青・白の4色、可愛い型も入っている。

 早速作ってみた。母はポニョ、娘はランドセルを作るのにすっかり夢中になり、気が付くとケーキを作る粘土が足りなくなっていた。残った粘土で作ったら…ちょっと変な色のケーキができあがった。

 作品は専用カップにいれて、水を加え、電子レンジで粘土から消しゴムへ。それにしても、材料研究の進歩はすごい。

 電子レンジに4分、お湯を捨てて、水で冷やして、消しゴム完成!よく考えてみれば、どれも消しゴムに使うには適さない形状のような気がするが、娘が喜んでいるので気にしないことにしよう。

 ちなみに写真のポニョ、頭上の天使の輪をつけたのは娘、ランドセルは娘の作品である。

葡萄・ピオーネ狩りに行きました――神戸市立フルーツ・フラワーパーク2008年09月20日

ピオーネです。美味しそうでしょう?
 久しぶりに家族でフルーツ・フラワーパークに行った。毎年9月になると、フルーツフラワーパーク行きが家族の誰かから提案される。美味しい葡萄・ピオーネをお腹いっぱいいただくためだ。
 今日のフルーツ・フラワーパークは、思ったよりも人が少なかった。事前に確認したHPで、先週の混雑ぶりが紹介されていたので、マイハサミとマイバケツを持参したのだが、待っている人は全くなく、ハサミやバケツも十分あった。そして果樹園で色の濃い大きい粒が沢山実っている房を探して切り取り、シートに座ってのんびりいただくことができた。
 とりたての実は皮も剥きやすく、みずみずしくて甘く、いい香がして美味しい。家族がみな健康で、心おきなく美味しいピオーネをいただく幸せ。
 また来年も行きたいな~。

参考:神戸市立フルーツ・フラワーパーク http://fruit-flowerpark.jp/
現在の果物狩りは葡萄はピオーネ、梨は豊水です。双方とも残り僅かで21日閉園予定だそうです。レジャーシートを持参すると座ってのんびり食べられますよ(^^)

戦前の国定教科書「ハナハト本」と「サクラ読本」を読む2008年09月21日

戦前の国定教科書2種「ハナハト本」と「サクラ読本」
 博物館のミュージアムショップで戦前の国定教科書の復刊本を見つけた。戦前の国定教科書は、第一学年の国語教科書の最初の頁にちなみ「イエスシ本」「ハタタコ本」「ハナハト本」「サクラ読本」「アサヒ本」の通称がある。今回手にしたのは1917年・大正6年発行の『国語読本』巻一の「ハナハト本」、及び1932年・昭和7年発行の『小学国語読本』巻一=「サクラ読本」である。中国の古い教科書はいつも見ているけれども、日本の教科書の方は新鮮で思わず購入してしまった。

 二冊を比べると…『国語読本』巻一=「ハナハト本」は大正デモクラシーの影響を受けた教科書で、灰白色の表紙に、挿絵も線画で描かれた黒一色刷りである。「ハナ ハト マメ マス」という単語から始まり、子供の生活に身近なものから教材をとった内容が大半を占める。「ハナハト本」の由来でもある「ハナ」、イラストをみると明らかに桜である。他に「さるかに合戦」「桃太郎」が掲載されている。『教科書でみる近現代日本の教育』によれば「ハナハト本」も「ハタタコ本」と比べると国家的・軍事的な色調が濃くなっているそうで、「桃太郎の内容も単純な童話から鬼征伐に力点をおくものとなり、桃太郎のもつ扇も桃の絵から[日の丸]に変わっている」らしい。それでも巻一に限って言えば、目立って国家的・軍事的ということはない。

 一方、『小学国語読本』巻一=「サクラ読本」は世界的な新教育思想の影響を受けた教科書で、薄茶色の表紙に、多色刷りの絵を用いている。特に巻頭の「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」という文章から始まり、サクラが野山に咲く様子が描かれ華やかな印象である。この「サクラ読本」は巻一でも国家的・軍事的な教材が目立つのが特徴だ。「サクラ読本」の名前の由来となったサクラにしても、日本の国花であるし、「オヒサマ アカイ アサヒ ガ アカイ」から更に大きな国旗が掲げられた「ヒノマル ノ ハタ バンザイ バンザイ」に発展するなど、国家の象徴としての朝日と日の丸が登場し、それらは客観的な説明はなしに、子供の言葉で讃えられる。更に「ススメ ススメ ヘイタイ ススメ」にはじまり、「タラウサン ガ、 グンカン ノ エ ヲ カキマシタ。」「ハナコサン ガ、 フジサン ノ エ ヲ カキマシタ。」「ヒカウキ、ヒカウキ、アヲイ ソラ ニ、ギン ノ ツバサ。ヒカウキ ハヤイ ナ。」といった軍事的な教材もすでに導入されている。前述の桃太郎の教材も11頁から22頁へと長くなっている。

 考えてみれば、「サクラ読本」が発行された1932年は上海事変が起きた年であり、また前年の柳条湖事件に端を発し関東軍が満州全土を占領して満州国を建国した年でもある。この時期、教科書はすでに国民を戦争へ駆り立てる道具として機能していたのである。

読んだ本:尋常小学『国語読本』巻一(「ハナハト本」・大正6年、文部省)復刊本(発行:久保企画)
尋常科用『小学国語読本』巻一(「サクラ読本」・昭和7年、文部省)復刊本(発行:久保企画)
海後宗臣・仲 新・寺崎昌男『教科書でみる近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
入江曜子『日本が「神の国」だった時代-国民学校の教科書をよむ-』(岩波新書、2001)

「モモタロウ」どちらが面白い?――「ハナハト本」「サクラ読本」2008年09月22日

 ふと気が付くと、机の上に置いておいた「サクラ読本」の「モモタロウ」を娘が読んでいた。全文カタカナとはいえ、旧仮名遣いでもあり、娘には読みにくいはずなのに、あっという間に読んでしまった。「分からない字があるでしょう?」と聞くと、分からない字は前後の文脈から分かるのだという。

 考えてみれば、この教科書は小学一年生用、丁度娘と同じ年頃の子ども達が学んだ教科書である。語彙面でも工夫されて、このくらいの年齢の子供が読んで分かるように、興味を惹くように、考えられているのだろう。

 思いついて「こっちにも載っているから読んでみて感想を聞かせて」と「ハナハト本」を渡した。娘はすぐに読み終わって、「そっち(サクラ読本)は色がきれいだけど、こっち(ハナハト本)の方が面白い」と感想を教えてくれた。

 ところで、「ハナハト本」「サクラ読本」に載っている「モモタロウ」、大抵の日本人が知っているものとほぼ同じ筋である。でも実は、この筋も登場人物の個性も、実は明治以降に国家的な教育政策のもと、本来の伝承とは大きく変えられた内容が定着したものだ。

 「桃太郎」の成り立ちについては諸説あるが、室町時代に幾つかの説話が合わさって発生し、江戸時代に草双紙の赤本により広まったとされる。明治初期までの「桃太郎」は桃を食べたお爺さんとお婆さんが若返ってその間に生まれたのが桃太郎、という話が主流で、このときは「宝物をとりにいく」のが動機の陽気で盗賊まがいの侵略者のお話だった。

 それが、明治期になり、検定教科書『尋常小学読本』(文部省編輯局、1887年・明治20年)に「桃太郎」が教科書に収録されたとき、桃太郎は桃から生まれるように筋が書き換えられ、桃太郎像は孝行者で「悪さをする鬼を懲らしめに行く」のが動機の善の征伐者へと変化をとげたのだそうだ。その後、時代背景に即して、変身を重ね、戦時には軍国主義のシンボル的存在となり、敗戦とともに戦争犯罪人となるに至るのである。それでも、戦後も「桃太郎」は明治以降に作られたイメージで定着している。
 
参考:以前読んだ本の記憶を頼りに、ネットでいろいろ調べました。
『桃太郎像の変容』(滑川道夫・東京書籍)に詳しいようです(未見)。

ホーニッヒアッフェルバウム――羽田空港のお土産2008年09月22日

美味しかった空スイーツ・アッフェルバウム
 ホーニッヒアッフェルバウム、名前は難しいけれど、これはお菓子の名前である。

 帰省のたびに通るのだけれど…たくさんありすぎてどれも美味しいか分からない羽田空港のお土産。今回母にもらったこれは大ヒットだった。カールユーハイムの「ホーニッヒアッフェルバウム」、家族全員に大好評だった。羽田空港限定の人気空スイーツとして新聞に紹介されていたそうだ。

 バームクーヘンに、蜂蜜色のリンゴのシロップ煮が丸ごと入っている。冷やしていただいたら、リンゴがシャキッとしていて、バームクーヘンがしっとりとしてとっても美味しかった。

 遅くなりましたが…ごちそうさまでした(^_^)/~。

お誕生日おめでとう--二球儀のプレゼント2008年09月23日

二球儀の贈り物
 娘の7歳の誕生日を間近に控え、二球儀が届いた。娘のリクエストに応えて、実家の両親が地球儀に天球儀がついた二球儀をプレゼントしてくれた。

 地図が好きで星に興味がある娘にとっては、一番の贈り物である。地球儀の方は、ライトが消えていると地勢が分かり、ライトがつくと海流と国境が見える。早速飾ると、ライトをつけたり消したり楽しんでいた。
 
 大事に使ってね~。

篤姫ゆかりの地4――維新の志士を育てた郷中教育の実際2008年09月24日

 篤姫ツアーで鹿児島に行った際、何度か耳にした気になる言葉、それが郷中教育(ごじゅうきょういく)である。薩摩藩から明治維新を担う人材を多く輩出したという郷中教育(ごじゅうきょういく)とはどのようなものだったのだろうか。

 「郷中教育」は、薩摩藩独特の藩士子弟の地域・郷中(ごじゅう)単位の教育法、いわば、先輩が後輩を教えるという形で、学問と武芸を学ぶ仕組みである。小稚児(こちご)、長稚児(おさちご)と二才(にせ)に分けられ、長稚児が小稚児を指導し、二才が長稚児を指導した。稚児とは元服前の6、7歳から13、4歳の少年達であり、二才は14、5歳から23、4歳の元服を終えた青年たちである。

 稚児は早朝から行動を共にし、稚児頭の命に従って、相撲、大将防ぎなどをしたり、示現流剣術の稽古を行ったり、日時を決めて、二才の監督のもと、四書五経や『太平記』『忠臣蔵』などを学んだという。

 大河ドラマ「篤姫」では、西郷さんや大久保さんとその他の仲間が寺の境内のようなところに集まって稽古し、時に議論したりしていたが、あれは「郷中教育」を念頭に撮影したシーンなのだろう。郷中の仲間は、長幼の序・先輩後輩の関係が厳格である一方で、兄弟のように親密な関係であったらしい。

 孫引きだが…『郷中教育』の著者・村野守治氏によれば「郷中教育」は、4つの特徴があるという。第一に島津忠良(日新)の『いろは歌』の「古えの道を聞いても唱えてもわが行ないにせずば甲斐なし」にあるような、学んだことを実践する教育であり、第二に地域社会が自発的に実施した集団教育であり、第三に年齢集団的な段階的教育であり、第四に「山坂達者」を志向した鍛錬教育である、という。元々、16世紀末の朝鮮出兵に際し、留守をあずかった新納忠元が忠良の故事にならい、子弟達に話し合い仲間(咄相中)を結成させ、みずから士道を錬磨させたことに始まると伝えられる。

 ところで…『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、
郷中(ごじゅう)教育は
・武士道の義を実践せよ
・心身を鍛錬せよ
・嘘を言うな
・負けるな
・弱いものいじめをするな
・質実剛健たれ
・たとえ僅かでも女に接することも、これを口上にのぼらせることも一切許さない
・金銭利欲にかんする観念をもっとも卑しむこと
などからなる、そうだ。この規則からは、郷中教育が、思想教育的な面も担っていたことが分かる。

 それにしても、女性とは接することはもちろん口にすることさえ許されないのだから…男尊女卑の根強い薩摩のことでもあり…篤姫が男装したり、肝付尚五郎と友人になったり、ましてや西郷や大久保と話したり…ということは、やはりドラマの中だけの話なのである。

参考:
中村明蔵『薩摩民衆支配の構造』(南方新社、2000)
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』