義務教育の始まり「小学令」(明治19年・1886年)――日本の教育法令の歴史72008年11月25日

 明治18年・1885年にはじめて内閣が設けられたとき、初代の文部大臣に就任したのは森有礼(もりありのり)であった。森有礼は文部大臣に就任すると、ただちに学校制度の改革に着手、翌年の明治19年・1886年3月に帝国大学令、ついで4月には師範学校令、小学校令、中学校令が公布された。この諸学校令は学校種別に制度を設けたもので、これによって日本の近代学校制度の実質的な基礎が固まった。教科書の検定制もこのときから実施された。

  「小学校令」では、小学校は尋常小学校4年、高等小学校4年の2段階とし、尋常小学校への就学を義務としている。土地の事情によって、小学簡易科を設けて代用できることにした。

 小学校の学科は明治19年・1886年5月の「小学校ノ学科及其制度」によれば、尋常小学校の教科は、修身、読書、作文、習字、算術、体操で、図画、唱歌を加設してもよいこととし、地理、歴史、理科は高等小学校の教科とされた。このうち理科は新しく設けられたもので、これまで物理、化学、博物、生理に分かれていたのを初めて統合して一つの教科としたのである。ちなみに小学簡易科については「小学簡易科要領」で同時に定められたが、教科は読書、作文、習字、算術のみである。

 このあたりに来ると、中国の学制と教科名もその他の詳細も酷似していて、その影響について考えるのが面白い。 (修正:2008年11月27日)

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)

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