中国・日中戦争期、戦時児童保育会の孤児達22009年07月27日

 中国・日中戦争期、戦時児童保育で養育された戦災孤児等3万人は日中戦争中に保護された子供達である。しかし、必ずしも日中戦争で孤児になったわけではないらしい。気がついてみれば当たり前のことのようだが、私自身の当時の社会背景に対する理解が十分ではないので、このあたりの事情を研究した資料を探した。幸いにも、ヒントになりそうな論文を見つけることができた。台湾・国立中央大学歴史研究所の雑誌『史匯』に掲載された林佳樺『戦時児童保育会的建立與組織運作(戦時児童保育会の設立と進展)』である。

 この論文によれば、中華民国元年(1911年)から日中戦争が始まった民国26年(1937年)には重大な天災が少なくとも77回あったという。天災の種類は、水害、震災、干ばつ、台風、火災、伝染病、凶作、イナゴ・雹・雪や霜による農作物への被害などで、特に水害が24回と群を抜いて多い。国が大きいだけに、災害の規模も被害額も被害者数も、日本とは比べものにならない甚大なものだ。

 例えば、民国18年の陝西・甘粛・河南等の凶作では餓死者が23万人、民国20年の全国規模の水害では被災者は700万人、民国22年の河南の水害では被災者364万余人(死亡者1万8千余人)、民国24年の湖北の水害では被災者700万人、民国26年の四川の干ばつでは被災者3000万人等だ。その上、清末から民国にかけては、外国の侵略、国内の騒乱が絶えなかった。深刻な自然災害に、戦乱等の人災が加わって、日中戦争前にすでに難民が大量に生み出されていたことは確かなようだ。

 3万人の孤児というと、非常に多いように思うが、天災の被災者の数を見ても恐ろしい数で、これに人災、戦乱が加わったとなれば、戦時児童保育会の活動で救われた孤児3万人という数さえ、氷山の一角でしかなかったことは容易に推測出来る。

参考:林佳樺『戦時児童保育会的建立與組織運作(戦時児童保育会の設立と進展)』(『史匯』第十期、国立中央大学歴史研究所、2006)


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コメント

_ BIN★ ― 2009年07月28日 01時00分18秒

中国という土地の大きさに驚きました。災害の規模もわれわれの想像をはるかに超えています。いい情報、ありがとうございました。

_ ゆうみ→BIN★さん ― 2009年07月29日 14時43分59秒

どういたしまして(^^)
いま読んでいる論文に引用されている資料に、抗戦期の自然災害について書かれた博士論文がありましたよ。そのうち読むことがあれば、紹介しますね。

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