人生の先輩に学ぶ-『神谷美恵子日記』を読む2008年11月10日

神谷美恵子『神谷美恵子日記』(角川文庫、2002)
 しばらく前から少しずつ読み進めていた『神谷美恵子日記』を読了。この日記を読んで良かった。日記に収められているのは、『神谷美恵子著作集』の最終巻に載せられたもので、神谷美恵子さんの夫により抜粋されたほんの数%。薄い本なのだけれど、思ったよりも時間がかかった。それは内容に考えさせられるところが多かったからである。

 夫・神谷宣郎氏が書かれた日記のあとがきによれば、25歳から亡くなる直前の65歳までの約40年の日記から各年代を伝える369日分を抜粋したものだそうである。人生に悩み、葛藤しながら、自分に合った道を模索し、理想を追求した若い頃。結婚後、幸せな家庭生活の一方、家事と子育て、語学教師や大学講師で語学を教えて余暇の全てを吸い取られ本当にやりたいことが出来なかった日々。子ども達が成長し、研究を再開しハンセン病の施設に通い、念願の執筆活動に励む、忙しいながらも充実した更年期。病を得て、仕事を辞め、研究と執筆活動をしながら家で過ごした晩年。その穏やかで淑やかな外面からは想像もつかない、内省的で複雑な心境が綴られている。

 若い頃は、買いかぶられがちな自分、男性にとって甘いワナたる自分に嫌悪感にも似たものを持っており、結婚後も、目立たないように、控えめに、と常に己に向かって釘を刺し続けている。また無責任に、働く母親である彼女を批判する人があったときに、自分はだめな母親なのだろうかと悩んだりもしている。語学の才能が豊かであることも、彼女にとっては時にはやりたいことをさせてもらえない壁となった。彼女ほどに才能があると、周りの期待や要望も大きいのである。だから、彼女ほどの人も、時には悲鳴を上げ、挫けそうになるのだけれども、それでも最善を尽くそうと努力し、前を向いて歩いていく。

 日記を読む中で、神谷美恵子さんは、自身に妥協を許さない完璧主義の人であることが感じられた。…溢れる才能、学問と仕事への情熱、家族への深い愛、弱い者や貧しい者への奉仕を願う使命感…厳しい自己認識のもとで、使命を果たすことを願い、そして同時に自分らしく生きる道を模索し続ける人生を歩まれた。私にとっても学ぶところが多いように思えた。気高いけれど、とても重い責任を伴うこれらのものを、時に挫けそうになりながらも、必死に追求し続けた人生の先輩に、深い尊敬の念を持った。 次は『遍歴』を読んでみようと思っている。

読んだ本:神谷美恵子『神谷美恵子日記』(角川文庫、2002)

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大切なことを教えてくれる絵本『トーマスとマティオウ』2008年11月11日

台湾で見つけたいい絵本『湯馬斯和馬帝歐』
 最近、日本では貧富の差が広がっているそうだ。子ども達もブランドの服にこだわったり、貧富の差が仲良しグループに反映されたり…そんなことが気になる世の中らしい。そんな話を聞くと、ふと思い出す本がある。絵本『湯馬斯和馬帝歐』(トーマスとマティオウ、フランス語の原題:Thomas et Mathieu)である。この本は簡単だけれど、大切なことを教えてくれる。今日はこの本を娘と一緒に見た。

 ストーリーはシンプルである。お金持ちの息子・トーマスと貧しい家の息子・マティオウが主人公のお話だ。二人は着ている服も、持っている物も、休みの過ごし方も全然違うけれど、学校では同じように先生に怒られるイタズラ坊主。そして二人は小さい頃からの親友である。二人はお互い知り合えたことをとても喜んでいる。そして二人は違う所など全然気にしていないし、違っていることにさえ気が付いていない。彼等にはそんなことはどうでもいいことなのだ。

 二人はそれぞれ家族に愛されて幸せだし、学校にも通っている。本当の友情には、家の経済力の違いなんて関係ない。子どもが家庭の経済力を誇ったり反対に引け目を感じたりするなんて、変な話である。

 これは台湾に行ったときに書店で偶然手にして、気に入って買い求めた本である。『湯馬斯和馬帝歐』はフランスの絵本の中国語訳。フランスも貧富の差が社会問題になっていると聞いている。この本はそんな社会背景を踏まえて書かれたのかも知れない。私が知る限りでは、日本で翻訳は出されていないようだ。もしあれば、ぜひ教えてください。

参考:貢特/作、史特凡?吉黑爾/絵、祝文君・翻訳『湯馬斯和馬帝歐』(三之三國際文教機構、2004)

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試行錯誤の「教育令」(1879年・明治12年)――日本の教育法令の歴史22008年11月12日

 11月7日の記事で述べたように日本初の「学制」は、欧米の教育法令等をモデルにした、身分や階層、男女の別なく教育の機会を与える近代的な内容であって、日本の近代教育の基礎を築いた法令であった。しかし一方で、政府の財政が厳しい時期で、制度的保証措置に欠陥があった。また、新しい教育体制を受け入れる側の社会の未熟さも、実施後明らかになっていった。

 そのため、「学制」実施後の経験と批判を踏まえ、1877年ごろから文部省内で「学制」改正準備が始まる。1878年5月には文部省により改正案がまとまり「日本教育令」案として太政官に提出された。これに内務卿・伊藤博文が民権運動対策の観点から大幅な改正を加え、更に元老院での改正を経て、1879年・明治12年に公布されたのが「教育令」である。これにより「学制」は廃止になった。

 この「教育令」はわずか47条で簡単な規定である。教育令は学制の画一的な中央集権生を改めて、教育の権限を大幅に地方に委ねる方針をとった。学制の基本であった学区制を廃止し、学校は町村を単位に設置、就学の義務についても厳しい督促をゆるめ、地方の実情に合わせることにした。なかでも内容は大きな変更が加えられた。小学校の修業期限を従来の8年を原則としながら4年まで短縮することが出来るとし、子どもたちはその4年間に最低限度16ヵ月就学すればよいと定めることで、子どもの就学により家庭の経費負担の軽減化を図るなど、当時の社会状況と民衆の要望とに妥協しうる最低レベルまで引き下げるもので、大きな後退といっていいだろう。

 この改革は画一的と批判のあった学制の問題を解決し、自由民権の思想にも対処、更に国家財政の窮乏にも応ずる改革の筈だった。これは、理想主義の「学制」から、現実社会に適応することを重視した「教育令」へ大きな方針転換であった。 (2008年11月14日修正)

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
佐藤秀夫『新訂 教育の歴史』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2000)

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F4の『流星花園』(花より男子)、今頃鑑賞中2008年11月13日

F4の流星花園
 先日友人にプレゼントしてもらってF4のコンサートに行ったので、デビューのきっかけになったドラマ『流星花園』をDVDで見ています。コンサートは幸いとてもいい席で(友達のおかげで)、本当に目の前で歌っていてよく見えました。その時見た彼等の印象と重ねながら見るのはなかなか楽しいです。

 以前から『花より男子』は人気の漫画であることは知っていたし、アニメもあったようだし、最近は日本でもドラマ化、映画化されていたのですが、どれも見ていなかったのです。(正確には『流星花園』の一回目だけはずっと前に見たことが…)普通はドラマを見てからコンサートに行くものですよね。コンサートは素敵だったのに、誰が誰か全然分かっていなかったし、歌の一つも知らなかったので、それはいくらなんでも失礼では、と思って、今頃見ているわけです。

 登場人物の名前は日本名のままで、舞台は台湾なのが、なんとも面白いです。主人公の「つくし」が「杉菜」と訳されていて「シャンツァイ」と聞こえるのが可愛い~。言葉も台湾の中国語で、聞き心地いいです。もう10年も前のドラマだけれど、言い回しとか、言葉遣いの違いとか、そんな細かいことも楽しかったりします。

 レンタルビデオ店に行ったら「華流」というコーナーに『流星花園』以外にもF4のドラマが沢山あったし、他にもトレンディードラマや武侠小説を原作にしたドラマなど、たくさんが並んでいて驚きました。見始めると止まらなくなりそうなので、自制しなければ(^^;)

見ているDVD:『流星花園』

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「改正教育令」(1880年・明治13年)12月――日本の教育法令の歴史32008年11月14日

 政治、経済、社会、教育各方面において現実的対策だったはずの「教育令」公布は、予想外の結果を引き起こした。民衆の自主的欲求に基盤を持たない小学校への国家的規制の緩和によって、小学校制度自体が解体の危機に追い込まれたのである。就学者が減り、学校設立や就学の督励に苦心を重ねてきた地方の学事関係者を窮地に追い込むことになった。

 かくして激しい非難を浴びた「教育令」は、公布から一年で改正されることとなる。地方官の教育行政権限が再び強化され、小学校の教則は、文部卿の頒布するところに基づき、府知県令が地方の情況を量って編制することになり、教科書や就学の督促、教員の資格、学校の管理なども詳細な規定が設けられた。国家的な観点からの標準化と規制が強められた。

 更に翌年、1881年・明治14年5月「小学校教則綱領」により、小学校の制度も、学制による下等(4年)・上等(4年)の二段階から、初等科(3年)・中等科(3年)・高等科(2年)の三段階の編制に改められた。その際、初等科3年は国民一般が就学すべき段階とされた。また、先の「教育令」で一旦16ヵ月にされた最低就学期間は、「改正教育令」では3年の課程修了に延長された。「教育令」と比較すると「改正教育令」の方が32週日増加している。年間授業は32週以上で、休暇を除きほぼ常時授業が行われることになった。この改正教育令施行により、ようやく日本の近代学校の創設は軌道に乗った。

 明治10年代には就学の情況は一時停滞したが、国民の就学の水準は上昇を続け、中等科への進学者は増え、学年段階別の教科書も編纂されるようになり、近代小学校としての形態が徐々に整えられていった。そして、このあたりからが、中国の学制の見本になっていくのだと思う。

 それにしても日本の教育行政はこの頃からもしかしたらあまり変わっていないのかも、とふと思い当たった。大きな改革をするときに、なぜ実験を十分にしないのだろう。実験区を設け一定期間十分に実験し、内容と結果を検討し、問題を解決した上で全国に施行すればいいのに、と思う。試行錯誤段階の内容で上手くいかなければ、それは子ども達に降りかかって来るのだから。

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
佐藤秀夫『新訂 教育の歴史』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2000)

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「心の糧七ヶ條」(京都・二尊院)2008年11月15日

 先日出かけた京都の二尊院で見つけた三枚一組の人生訓、その中の一枚が良かった。こんな内容だった。

一、此の世の中で一番楽しく立派なことは生涯を貫く仕事を持つことである
一、此の世の中で一番さみしいことは自分のする仕事のないことである
一、此の世の中で一番尊いことは人の為に奉仕して決して恩に着せないことである
一、此の世の中で一番みにくいことは他人の生活をうらやむことである
一、此の世の中で一番みじめなことは教養のないことである
一、此の世の中で一番恥であり悲しいことはうそをつくことである
一、此の世の中で一番素晴らしいことは常に感謝の念を忘れず報恩の道を歩むことである

 大切なことを上手くまとめていると思う。大切な言の葉を心に刻みつけよう。もしかしたら、二尊院に著作権があるのかもしれないが…この道理をより多くの人が知ることはきっとこれを書いた方の心にも適うに違いない。

参考:京都・嵯峨 小倉山 二尊院「心の糧七ヶ條」

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台湾・陳水扁前総統の逮捕に思う2008年11月16日

 11月12日、台湾の陳水扁前総統が逮捕された。ニュースを聞いたときは思わず鳥肌が立った。報道では汚職事件・資金洗浄・機密費横領などの罪に問われ、呉淑珍夫人が主犯格で陳水扁前総統も一部に関与したとされているようだ。元側近や親族も9人逮捕されたとか。事の真偽は分からないが、それにしても、この時期に陳水扁前総統逮捕というのはどうも気持ちが悪い。

 アメリカは大統領選挙が終わったばかりで、政権移行中であり、当分手も口も出すことが出来ないという国際情勢がまず気になる。また、逮捕の時に警官が殴ったというのも普通とは思えない。何と言っても前総統なのだ。逮捕されるにしても、それなりの敬意が払われて当然だろう。

 陳水扁氏は12日から拘置所で10の理由を挙げてハンストを継続中、昨日は胃液を嘔吐、すでに5日目に入った。一方、馬英九総統は14日にふと思い立って総統府のそばの国防部の大食堂を訪れ、自らの兵役時代のことを語りながら、食事を楽しみ、同じテーブルを囲んだ兵士達にご飯やおかずをよそったりしたことがニュースになっていた。台湾では一体今何が起こっているのだろうか。そしてなんといっても気にかかるのは台湾の民主の行方である。

参考:「陳水扁前総統を拘束、診察で逮捕手続き中断…台湾最高検」(YOMIURI ONLINE) http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20081111-OYT1T00609.htm
「前総統逮捕 台湾民主政治の大きな汚点」(11月14日付・読売社説)http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20081113-OYT1T00841.htm?from=nwla

以下は中国語(台湾・繁体字)の記事

「扁珍最後的反撲」(聯合報・社論) http://udn.com/NEWS/OPINION/OPI1/4603018.shtml
「阿扁拒服藥 未達強制送醫」(自由時報) http://iservice.libertytimes.com.tw/liveNews/news.php?no=150162&type=%E6%94%BF%E6%B2%BB
「【起來?,撩落去】 扁發表十點禁食理由」 http://tw.news.yahoo.com/article/url/d/a/081114/2/19fhk.html

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修身科の始まり『教学聖旨』(明治11年・1878年)――日本の教育法令の歴史42008年11月17日

 近代学校における道徳教育「修身」科のはじまりは、『教育聖旨』に遡る。洋風尊重と文明開化の思潮が批判され、皇国思想への転換が図られるようになったのは、明治10年代はじめのことで、この転機となり方向付けをしたのが、『教学聖旨』であった。明治11年・1878年秋に明治天皇は各地を回って教育の実情を視察、その後国民教育の根本方針として、『教育聖旨』が元田永孚(もとだながざね・儒学者)によって書きあらわされた。

 『教育聖旨』は「教学大旨」と「小学条目二件」からなる。「教学大旨」は仁義忠孝を明らかにするのが本旨であるとし、維新以来の洋風尊重を否定し、儒教の教えを道徳教育の基本とすべきであると述べている。また、「小学条目二件」は小学校で幼少のはじめに仁義忠孝の道徳観を教え込むことが大切であるとしている。1880年・明治13年の改正教育令で小学校の教科のはじめに「修身」をおいたのは、この教学聖旨の精神に基づいたものである。1881年・明治14年の小学校教則綱領は原案を上奏し、聖旨に基づいて一部修正した上で公布されたものと言われる。同じ年、中学校と師範学校の教則大綱も定められたが、学科のはじめにはやはり修身がおかれている。文部省は「小学校教員心得」を定めて、教員に対し「尊皇愛国ノ志気」を振起すべきことを説き、道徳教育の必要を強調、「学校教員品行検定規則」を定めて、同じ方策の徹底をはかった。

 更に教科書についても1880年・明治13年3月省内に編輯局をおいて新しい教科書の編集に取りかかるとともに、教科書取調掛を設けて教科書の調査をはじめ、調査の結果不適当と認めたものは府県に通達して使用を禁止したのである。禁止された教科書は、修身教科書、法律政治関係、生理関係の教科書などに多かったらしい。

 この『教学聖旨』は政府部内の人間関係の軋轢に絡んで、論争を引き起こした。これらの動きが後の教育勅語へと繋がっていく。

 中国の初期の学制は日本の明治時代の学制の影響を強く受けている。愛国教育の教科である修身科が清末、中華民国の学校のカリキュラムに組み込まれたのも、元はと言えば日本の影響を受けたものなのである。

参考:海後宗臣/著 仲新/著 寺崎昌男/著『教科書でみる 近現代日本の教育』(東京書籍、1999)
佐藤秀夫『新訂 教育の歴史』(放送大学教材、放送大学教育振興会、2000)

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抜歯の話――歯科医院にて2008年11月18日

娘の歯の入れ物。もう10本抜けました。もうすぐ2本増える予定。
 先日、娘の定期検診で歯科医院に行った。2歳の時から一ヶ月に一回くらいの間隔で通っている。定期検診だから、いつものように歯をきれいにして貰って、歯の様子を見て貰って終わりだと思っていたら、この日は違っていた。永久歯の様子を見る為、レントゲンを撮ったのである。

 娘は今7歳、乳歯から永久歯に生え替わる時期である。すでに10本抜けており、上の前歯も少しグラグラしていた。レントゲンで、上の前歯のすぐ下に永久歯が生えてきていることが分かり、抜歯を勧められた。乳歯2本には非常に長い根っこがあり、自然には抜けないという。このまま放っておくと、乳歯はぬけないまま、永久歯が変な位置に生えることになる、と警告された。

 レントゲンの写真を見ながら歯科医師の説明を聞いたのは私だけだった。娘には歯科衛生士が優しく抜歯の必要を説いてくれたのだが、娘にしてみれば青天の霹靂だったようだ。歯科衛生士が歯の写真を見せて説明し「今日歯を抜こう」と言っても、娘は涙をぽろぽろ流しながら小さな声で反駁し首を横に振るばかり。でも、「歯を抜いた方がいいことはわかった?」と言うと、首を縦に振る。しばらく説得は続いた。そのやりとりを見るうちに私にも、娘はどうやら抜歯を拒んでいるのではなく、突然の抜歯には納得出来ない、ということが伝わってきた。そこで「別の日に来て抜いて貰うことにする?」と聞くと首を縦に振って「そうする」という。結局、抜歯する日の予約をしてから帰宅した。

 実際のところ、こういうとき、簡単に説得されてくれると母としては楽なのだが、一個の人間として娘を見ると、納得出来ないことを受け入れない強い意志というか、姿勢が感じられて敬服した。娘は成長しているのだと思えた出来事だった。

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絵本『せかいのこどもたちのはなし はがぬけたらどうするの?』――抜けた歯のゆくえ2008年11月19日

『せかいのこどもたちのはなし はがぬけたらどうするの?』
 昨日娘の抜歯のことを書いて思い出したのが、『せかいのこどもたちのはなし はがぬけたらどうするの?』という絵本である。作者のセルビー・ピーラーさんはアメリカの人で、何年もかけて世界中の風習を調査した。「はがぬけたらどうするの?」って世界中の子ども達に聞いてみたのだそうだ。そうしたら、いっぱい面白い答えが返ってきたという。読んでみると、いろいろなパターンがあった。この絵本は「はがぬけたらどうするの?」という問いを通して、世界にはいろいろな風習や考え方があることを楽しく教えてくれる。とても面白かった。今日も世界のどこかで誰かの歯が抜けている。その歯の行方は…

【歯の妖精やネズミ、牛、小鳥、うさぎが持っていく。お返しにお金をくれることも】
 アメリカやカナダ、メキシコ、コロンビア、ベネズエラ、アルゼンチン、南アフリカ共和国、デンマーク、イギリス、オーストラリア等では、歯の妖精がぬけた歯を持って行く。置く場所は枕の下だったり、コップの中だったり、スリッパの中だったり、いろいろ。この歯の妖精が素敵なのは、歯を持っていくかわりにお金やプレゼントをくれるところ。アメリカのホームドラマ「フルハウス」のミシェルも歯が抜けたからお金ちょうだい、とパパに話していたのを思い出した。ミシェルは誰がくれるのかちゃんと分かっているらしい。
 国によっては、歯の妖精ではなく、うさぎ(エルサルバドル)だったり、ネズミ(グアテマラ、ハイチ、アルゼンチン、コロンビア、ウガンダ、フランス、スペイン)、牛(ジャマイカ)、ことり(ブラジル)だったりもする。

【記念にとっておく――歯でアクセサリー】
 コスタリカはお母さんが抜けた歯に金メッキをしてその子どもだけのイヤリングに、チリでは金か銀の鎖をつけてちいさなペンダントにしてくれるらしい。この絵本には書いていなかったけれど、全部の歯をペンダントやイヤリングにするのかしら?自分の歯のイヤリングって、ちょっと怖い気もするけど…みんながしていたら怖くない、のかも。

【自然に返す――屋根に投げる、土に埋める、太陽に向かって投げる、木の穴や枝や葉っぱの間にいれる、犬や鶏に食べさせる、畑に植える】
 ドミニカ共和国、カメルーン、ボツワナ、ベナン、モーリダニア、ギリシア、グルジア、モルドバ、インド、スリランカ、カンボジア、インドネシア、シンガポール、タイ、ベトナム、中国、日本、韓国、台湾では抜けた歯をうちのやねに放り投げる。「下の歯は屋根に、上の歯は下に」という国も、屋根だけに投げるのもある。
 アフガニスタン、バングラデシュではネズミの巣穴に歯を落とし、ネズミに新しい歯を持ってくるように言うらしい。
 リビア、エジプト、モロッコ、レバノン、オマーンでは太陽に向かってなげるそうだ。エジプトでは太陽にむかって「おひさま、おひさま、ぴかぴかのおひさま。すいぎゅうの歯をあげるから、花嫁の歯をください」って言って、投げるらしい。モロッコは太陽は太陽でも、朝陽ときまっている。
 トルコやネパール、トルコ、タジキスタン、マレーシア、アメリカの先住民・イエローナイフ・デネ、オーストラリアの先住民・アボリジニは埋める派。それぞれ特徴があって、例えば、タジキスタンは抜けた歯を全部畑に植えておくと、歯が大きくなって勇ましい戦士になるといわれているらしい。アメリカ大陸の先住民・イエローナイフ・デネの場合は木の穴や枝や葉っぱの間にいれ新しい歯が木のようにまっすぐのびるように家族みんなで木の周りで踊るのだそうだ。
 食べさせる派もある。アメリカ大陸の先住民・ユピークやマリはそうだ。ユピークの場合はお母さんが抜けた歯を肉やパンのなかに埋めてそれを子どもが自分で雌の犬に食べさせ、「もっといい歯にかえてくれ!」って言うらしい。犬はちょっと迷惑かも?でも犬としてはお肉をもらえるし、いいかな~。

 遠く離れた国なのに、似たような風習があったり、近くても違っていたり。また、それぞれの風習にも理由があるようなないような…でもどれも可愛げがあって楽しい。歯が抜けることを、子どもの成長と重ね、喜び、楽しんでいるように見える。いい本と出会えて良かった。

読んだ本:セルビー・ピーラー 文、ブライアン・カラス 絵、こだまともこ 訳『せかいのこどもたちのはなし はがぬけたらどうするの?』(フレーベル館、1999)

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