台湾の教科書制度と国立編訳館2008年12月06日

 先日いただいたコメントに関連して台湾の教科書制度のことを少し書いてみます。

 1947年5月、二.二八事件で陳儀長官が更迭されると、台湾省編訳館は廃止となり、教科書編纂と出版の業務は、再び教育庁に戻されました。教育庁では「編審委員会」が教科書編纂と出版の業務を担いましたが、1952年に国語、社会科について反共産党、反ソ連の教育内容を含めた課程標凖(日本の学習要領にあたる)が施行されたことに伴い、1953年国語、算術、社会、自然の四科目が国立編訳館で編纂されることとなります。他の教科は引き続き教育庁「編審委員会」が編纂していました。思想と言語の引き締めは教育界においてより厳しかったといえるでしょう。

 全科目が国立編訳館へ委譲されたのは1968年、中国では文化大革命が始まった年にあたります。ここに至って国立編訳館が台湾唯一の教科書編纂機関となりました。それから1989年まで20年以上にわたり、台湾では国定教科書が使われることになります。

 台湾意識の向上に伴い、国定教科書についての批判と議論が高まり、まずは1989年に労作、美術、音楽、体育等の一部の教科が民間の出版社に開放され、1996年に至って、ようやく国文、算術、社会、歴史、地理、公民等全ての教科が民間に開放され、検定制に完全に移行しました。

参考:『国民中学課程標凖』、『意識形態與台湾教科書』(中文)

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