日本の「手工科」の影響を受けた中国・清末民初の「手工科」教科書2008年12月05日

中華民国『共和國教科書新手工』(『小学教科書発展史』より)
 『小学教科書発展史』に面白いものを見つけた。目を引いたのは、これに折り鶴や蛙、アヤメの折り方が載っていたからだ。一つは『小学手工教科書(教師用書)』(光緒34年5月初版9月再版、商務印書館)、清末の「手工科」の教師用の指導書であり、もう一つは『共和國教科書新手工』(中華民国3年・1914年初版、11年・1922年第6版、商務印書館)、中華民国の「手工科」の教科書である。解説によれば、この二冊の教材内容はほぼ同じであるらしい。『小学手工教科書(教師用書)』には「編輯大意」があり、日本の文部省編の『手工教科書』、棚橋氏の『手工教授書』を基礎に編纂したと書かれている。

 そこで調べてみると、それらしい本が見つかった。棚橋源太郎,岡山秀吉著『手工科教授書』(東京:宝文館・東洋社、明治38・1905年)である。書名は少し違うが、著者も符合するし、内容を確認すると、中国で出版された教科書と同じイラストが使われていることが分かった。「色板」の説明部分を読み比べたところ、内容はほぼ同じながら、補筆してあるところがあったり、削除してあるところがあったりする。従って中国・清末の『小学手工教科書(教師用書)』は、棚橋源太郎,岡山秀吉著『手工科教授書』の簡訳版というところである。一方、文部省編『手工教科書』については巻7・巻8(大日本図書、明治37年・1904年)しか見つからず、残念ながら同じイラストは確認できなかった。

 ところで、同じ出版社である商務印書館から出されているのに、『共和國教科書新手工』には「編輯大意」がない。この教科書が出版されたのは1922年、1915年の日本の対華21条要求、1918年の五四運動、1921年の中国共産党誕生…中国のナショナリズムが一気に高揚した時期である。私の勝手な想像だが、ナショナリズムの気配が強まる中国社会の空気が、日本の教科書の翻訳であることを説明することをためらわせたのではないだろうか。

 なお、鹿野公子氏の論文「明治期における手工科の形成過程」によれば、「手工科」はパリ万博(明治11年・1878年)を境に高まった欧米の実業教育科目の学校導入の流れに影響を受けたものであるらしい。技術教育振興の気運が高まっていた日本で制度上「手工科」という科目が登場したのは、明治19年・1886年の第一次小学校令に基づき定められた「小学校ノ学科及其制度」からであった。「小学校ノ学科及其制度」の第3条に高等小学校の加設科目として挙げられている。手工科は日本でも加設科目になったり、随意科目になったりを繰り返した学科で、昭和16年・1941年には「作業」「工作」という名前に変更され、後に中学校の「技術」科・小学校の「図画工作」へと発展したと言われている。

参考:『小学教科書発展史』(国立編訳館、2005、中国語)
鹿野公子「明治期における手工科の形成過程?上原、岡山、後藤、一戸の手工教育観をもとに」(日本大学教育学会 教育学雑誌32、1998)

近代デジタルライブラリーで棚橋源太郎,岡山秀吉著『手工科教授書』(東京:宝文館・東洋社、明治38)を見ることが出来ます。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40040575&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0 表紙
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40040575&VOL_NUM=00000&KOMA=139&ITYPE=0 折り鶴

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