中国語訳『新源氏物語』発行とそれまでの翻訳事情2008年12月10日

中国で出版された源氏物語『新源氏』(上海訳文出版社)
 今年11月、中国の上海訳文出版社より『源氏物語』の翻訳『新源氏物語』が出版された。源氏物語千年紀を記念した発行である。12月9日付の朝日新聞の報道によれば、翻訳したのは京都外国語大学の彭飛教授を中心とするチーム、メンバーは総勢12名で、村上春樹作品の中国語訳を数多く手がけている翻訳家・林少華氏の他、日本文学や源氏物語、和歌の研究家、大学院生らが参加している。

 この『新源氏物語』、古典からの翻訳ではなく、田辺聖子さんが現代語に訳した『新源氏物語』の源氏の部分を中国語訳したものである。上下二巻で計867頁だそうだ。ちなみに『新源氏』を発行した上海訳文出版社、中国における村上春樹ブームに火をつけた出版社である。

 それにしても、彭飛教授の実行力とスピードには脱帽である。源氏物語の翻訳を思い立つと、今年3月、青島に飛んで林少華教授、大連に飛んで和歌研究の杜鳳剛博士、北京で源氏物語で博士号をとった張龍妹教授を訪ねて快諾を得、大学教育9名、大学院の学生3名の12名のチームを4つの班に分けて翻訳をスタートさせた。翻訳は5月末には完了、その後6月と7月は各班ごとに研究会を行って翻訳を検討工夫し、8月に上海に集まって合宿をして完成させ、最後に彭飛教授が二週間かけて再度チェックしたというから、驚きである。まさに翻訳プロジェクト、翻訳の方法も現代的になったものだ。ここまで調べたら『新源氏物語』どうしても見たくなってきた。

 ところで…調べた限りでは、『新源氏』を含め、中国における源氏物語の中国語訳は少なくとも5種類ある。1種類目が1962年から1965年にかけて翻訳が行われ、1980年から1983年にかけて出版された豊子愷訳『源氏物語』上中下冊(人民文学出版社)、2種類目が2006年出版の鄭民欽訳『源氏物語』上下冊(北京燕山出版社)、3種類目が2006年に出版された姚継中訳『源氏物語』(アジア文学十大理想蔵書のシリーズ、731頁、深圳報業集団出版社)、4種類目がネットの無料図書館にある殷志俊訳の『源氏物語』、そして5種類目が今回発行された『新源氏物語』である。  

 豊子愷については12月7日の記事で述べたとおり。鄭民欽は本の訳者紹介によれば、「1946年生まれ、福建福州人、和歌研究専門家。北京大学日本語研究センター特約研究員、中国日本文学研究会理事」だそうで、『日本和歌俳句史』等の著書もある人物、姚継中は四川外語大学日本語科の教授で『源氏物語と中国伝統文化』などの研究書も出している専門家である。殷志俊については何も分からなかった。

 『源氏物語』の翻訳、それが現代語訳からの翻訳であったとしても、当時の政体、風俗への理解は不可欠であるし、詩歌の訳なども相当難しかったに違いない。機会があったら、全て並べて比べてみたいものだ。

 ところで、最初の源氏物語翻訳について追っていたら、興味深いエピソードが浮かんできた。 始めに中国で源氏物語の翻訳に手を着けたのは銭稲孫という人物である。銭稲孫はとても興味深い人物で、いつか彼についても書くつもりでいるが、不確かな部分が多いのでとりあえず先送りにする。彼は周作人と並ぶ当代一流の日本通であった。1940年代には『万葉集』や『伊勢物語』等を、1950年代にも次々と日本古典文学、日本近代文学の翻訳を発表している。その中の一つが雑誌『訳文』(1957年8月)に掲載された『源氏物語』第一帖の「桐壺」であった。これが素晴らしい訳で好評だったので人民文学出版社は1959年2月に『源氏物語』全巻の翻訳を銭稲孫に任せることを取り決めた。  

 このあたりの事情を当時彼の原稿を受け取りに行っていた翻訳家の文潔若が「『源氏物語』はいかに訳されたか」に書いている。銭稲孫は源氏物語全巻を翻訳するのが一生の夢であったというが、白内障を患っていたために、原稿が遅々として進まなかった。10月までに4万字分の原稿を引き渡しただけだったのだ。そのため、翻訳は北京編訳社が担当し銭稲孫は校訂を任されることになる。銭稲孫が校訂した原稿は6万字分ほどあったらしい。 しかしこれは文化大革命中に失われてしまった。銭稲孫の「桐壷」の訳が一部紹介されていたのを見たが、とても美しい訳だ。完成版が見たかった。

 次に人民文学出版社から翻訳を任されたのが豊子愷だった。豊子愷は仏教思想の影響を受けており、詩文に通じていたことから白羽の矢がたったのだという。銭稲孫は校訂においても、目の調子が悪いことが影響したのか、作業が進まなかった。(でも銭稲孫はこの時期に江戸文学『近松門左衛門選集』『井原西鶴選集』の翻訳にとりかかり1963年に原稿を出している。)そのため、出版社は豊子愷の原稿を周作人に送って校訂させた。豊子愷原稿は誤訳が相当あり、校正のレベルではなく、周作人がかなり訳し直したという。周作人は友人へ宛てた手紙の中で、「豊は源氏物語のなんたるかを全然分かっていない」と酷評している。

 『新源氏物語』の彭飛教授によれば、周作人は文化大革命中でもあり上からの仕事で校正を断れなかったらしい。現在、訳者は豊子愷か周作人かで遺族の間で揉めているとか。周作人の手が相当加わっているとなれば…更に更に自分の目で確かめたくなった。そういうわけで…ここで紹介した源氏物語数種を現在取り寄せ中である。(2008年12月15日修正)

参考:「『新源氏物語』中国語版誕生の裏話」 http://www.iikoshi.com/archives/65103676.html
文潔若「『源氏物語』はいかに訳されたか」(人民中国) http://www.peoplechina.com.cn/maindoc/html/fangtan/200606.htm

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コメント

_ cospaly ― 2009年03月21日 13時56分52秒

豊子愷と周作人共に興味がある方です。豊子愷も日本と関係がある話は初耳で嬉しかったです。無理に関係付けるが、豊子愷が日本の漫画を読んだら、嬉しいだろう。

ちなみに、こちらただ今、2冊の周作人のエイセイ集を入手しており、中に説明なしに、文京区、港区、更に芝公園まで自然に文章の中に出てしまうのは、驚きました。更に三田文学をずっと読んでいることに身近に感じます。ご存知だと思いますが、小生が日本の教科書に彼のアニキ魯迅の懐かしい文章を日本語読んでとても感動を覚えました。

_ (未記入) ― 2009年03月21日 14時07分00秒

中国の日本文学作品の翻訳は、小生は全く知らない域ですが、これから中国再度日本文化、文学を勿論を飲み込み時代がくると思います。ご研究分野に近いか、どうか分かりませんが、清末の中国留学生は、大変日本の文化を飲み込んでくれましたね。
小生(おっさんですが)が日本文化を飲み込むことに大変興味があります。素人ですけれど、引退後でもいいから、面白いところを調べたくと思います。

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